死に取り憑かれているのではない。死を恐れているのでもない。私にとって、「死は、生の続きにあるもの。」であり、「死は、生者にとってのみ、関心事。」である。
この年になると、色んな「死」に出会った。未だ経験はしていないが。
中学校の頃、飼っている小鳥が死んだとき、初めて「死」という抽象的な概念が、実感となって私を圧倒した。眠れない夜が続き、生きている実感さえ失いかねない日々が続いた。私はその答えを、書物の中に探し続けたが、無駄であると気付くのに10年以上の歳月を要した。どう死ぬかではなく、どう生きるかであると納得するのには、更に、10余年掛かった。不器用な私であった。
私の描く「スケルトン達」は、「生きている死者達」である。私のような無神論者にとって、葬式もお墓も生者のためにある。スケルトン達は、後悔の無い「生」を生きるために語るのである。

私のスケルトン達は、饒舌である。何か、語りたいのである。その声に耳を傾けてやって欲しい。
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「やっと、ネット波に乗れたのよね。」
「ちょっと恐いかな。」
「これ以上、何を恐れることがあるものか。」