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今日は、暖かくて穏やかな天気だったので久しぶりに、海岸通ギャラリーCASO(大阪市港区海岸通2-7-23)に行ってみた。明日は、雨になるとのこと。

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ギャラリーに入ったところ。案内書やパンフレットが置いてある。

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入って右に受付がある。案内の女性が居る。懇切丁寧に質問に答えてくれる。ただ一つ、「現代美術とは」の質問だけは、イマイチはっきりしなかった。4年のこの受付で案内している彼女ですら、定義に困る言葉のようである。

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2階の休憩室。

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休憩室からの風景。港が見える。大阪港駅の北側は、海洋館などがあって、店も多く人通りもあるが、ギャラリーのある南側は、倉庫や工場が多く静かである。大阪のイメージとは程遠いが、私は、この場所が気に入っている。

ギャラリーで得体の知れない数々の造形物を鑑賞して、「現代美術って何」と、何十年ぶりに自問自答する羽目になった。美術論や芸術書を読みあさった若い頃が懐かしい。今更とは思うが、同行した息子に「現代アートって何?」と、訊かれ即答に困った。

とりとめも無く、説明する羽目になったが、私なりの解釈では、現代アート(造形美術に限る)とは次のようなものかな。

1・写真技術の発達と切り離して考えられない。モノクロからカラーへ。フィルムカメラか
らデジタルカメラへ。パーソナルコンピューターの普及とソフトの発展。これらのことを考慮すれば、伝統的写実という分野を、古典と分類せざるを得ない。現代アートの最低条件は、伝統的写実を前提にしていないということ。これは表現としての現代アートの見方で、実験アート等は、この代表で、早い者勝ちかも。

2・科学技術の発展の負の領域が、人間の存在や社会を脅かすようになってきたこと。科学技術は加速度的に進歩し、人間にはその総てを、理解はもちろんのこと、見渡すことすら不可能である。この世は総て、相対的であるという前提こそが、現代アートの必須条件。そこから、人間存在のあり方や、社会とのあり方を中心とするコンセプトアートなる作品が登場。

3・作品の発注主が、時の特権階級であるか、自分自身であるかの違い。自分で勝手に制作し、その結果、社会的に発表する手段が必要となってくるが、現代アートである場合、集団、若しくは団体に所属して発表することはない。あくまでも、アウトサイダーとしての立場を主張する。孤高の芸術家と言う言葉や、個性、自己表現などの概念が尊重される。

これらの結果、なんでもありの現代アートは、混沌とした状態を呈するようになった。まず、一番困ったのは、評論家達で、小難しい表現を駆使して煙に巻くという方法を編み出す。で、一般ピープルは、「現代アートは、ムズイ。わからん。」と言うことになる。これでは、まったくの負のスパイラルではないか。評論や解説をするなら、義務教育を受けた人なら理解出来るように表現すべきではないか。

それでも、何でもありの自由な現代アートは、好きである。人の顔が、一人一人違うようにアーティストの数だけアートがあると思えば良い。亜流と物真似だけは、ご勘弁願いたい。