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人は写真や絵画を見てどのように感じるのであろうか。絵かきの私は、いろいろな本を読んである結論に達した。即ち、2字平面の写真や絵画を見るためには、それまでの経験の蓄積や見ることの訓練が基本となって、それと同時に本人好みや社会的常識や習慣が多重構造となって、複雑な判断要因となっているようである。見慣れたものに対しては安心感を持ち、良きものと感じられる。花は赤く葉は緑のほうが、緑の花に赤い葉よりずっと好ましいのである。見慣れたものや、言葉で理解できる範疇のものに対し感情は肯定的に働く。

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Pixelstick(ピクセルスティック)で描かれたこのような映像は、訓練された鑑識眼がないと、捉えどころのないものとしてしか認識されない。

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ところが、とらえどころのない形の上に見慣れた花を置くと状況は一変する。得体のしれなかった抽象的な画像も花を生けるためのお洒落な花瓶となり、言語に置き換え可能な認識の範疇にないってくる。その上、ピンクとか花とかが特に好きならもうこの画像は「グッド」であり「クール」である。

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これぐらい変化させても、OKである。まだ、認識の範疇である。

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この画像は、ピクセルスティックで飲みできたものであるが、中央に花らしきものがあるので辛うじてOKである。

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PCのソフトで少し変化させる。これでもまだイケルと思う。

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これぐらいになると、危険信号が鳴るかもしれない。少し不安になってくる。「こんな花は見たことがない。果たしてこれは花なのか。危険なものではないのか。等々。」

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もうこうなると不安要素がいっぱいとなる。何しろ、「緑の花。ブルーのブツブツ。葉っぱもない。」 頭のなかで危険信号の音波が流れ始め、言語変換不能となり、立ち往生。そこで一言、「何かよく分からん。」

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同じ形でも、このような色合いならば、安心できる。「赤い花に緑の葉っぱ。」明るい背景も安心できる。緊張レベルは低い。このような作品を作る人には危険人物はいないという判断が、作品を鑑賞するときの要素になるかもしれない。

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ところが、このような作品は理解することは難しい。日常生活の範疇から逸脱しているではないか。不安である。此処から先は、かなりの個人差がある。

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もっと変化させる。何かなんだかもうわからない。認識のフックがない。自分の言語に置き換える何者もない。不安である。危険かもしれない。ブーである。

そこで、ピクセルスティックのファンが一人でも多くできればと思い、あれこれ涙ぐましい努力をしている。抽象画になんの抵抗ももない私ではあるが、少しでも毛嫌いされないために具象的なイメージを画像に加えている。ピクセルスティックの同好会やオフ会ができたらいいなと思いつつ。その時まで、頑張るニャン。