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今日は、朝日新聞のこの記事を何度も読み返した。

一年間だけではあるけれども、中学校の教壇に立ったことがある。そこで体験したことは、今でも忘れることが出来ない。一ヶ月前までは、自分自身が教えられる学生であったのに、今度は反対側の教壇に立って人に教えるのである。ままごとごっこのような教育実習はなんの役にも立たなかったことは断言できる。

初めて目にした教職員の実態にも唖然とした。教師も人間であり、社会の縮図である。教室の生徒間で起きることは、先生の世界でも起きる。職員会議は、まるで生徒のホームルームの時間と相似形をなしていた。先生は決して特別な人ではなかった。普通の人たちであった。

では、普通とは何かというとその定義は難しいが、「雑多なものが渾然一体となっている状態」であると私は定義する。普通の社会とは、「社会を維持する人、社会を組織する人、社会の未来を切り開く人、社会の秩序を破壊する人、社会に問題提起する人、等などいろんな人で構成されている社会」である。

学校での勉強は、この混沌とした普通の社会で生きるために必要な知識と体験ではないかと思う。然るに、こんな簡単な事すら自覚できない多くの教師や親が、義務教育を「いい子製造株式会社」と勘違いしている。親や教師が勘違いしているのだから、もちろん子供達も勘違いせざるを得ない。この世の中にはあらゆる問題が次から次へと発生している。この問題解決能力こそが教育である。もっと過激に表現すれば「サバイバル」である。しかし、人間は他の動物とは違い叡智があるので、単なる弱肉強食にはならないはずである。そのためにより良い社会を作ろうとし、教育するのであるから、この方向性に逆行すれば、社会を負の方向に向かわせる。

それでも、現に今起こっている苦境をなんとか切り抜けなければ、教師が、教育委員会が、教育長が、為政者が無能だと糾弾される。「いい子製造株式会社」の株価は下がる。即ち、期待が裏切られる。そして、苦肉の策で思いついたのが、大阪市の「問題児分離」という解決策であったように思う。

ただ、ある学者が書いていた。「世界の諸問題は、最底辺の17%の人々を救えばほとんど解決される。」というような内容のことを。橋下市長もこの考えが根底に在ってあえてこのような策をとったことを期待する。

負の部分だけを論っても始まらない。この思い切った「分離」という方法は、大きな議論を呼ぶことであろう。教育界に「問題児とはなにか」を大声で喚き散らしたのである。まさに橋下市長は、社会に対して問題を提起する人である。ただ、今までは、たったこれだけのこともしない市長が続いた。

で、私は、義務教育とは何かをもう一度よく考えてみようと思う。そしてブログに書く。書かなければならないと思う。(一人ひとりが教育とは何かと自問すればそれだけで問題の大半は解決したも同然であるのだが。)より良い社会を望む者の義務である。