我々は生まれてから死ぬまで、何の保証もない命を生きている。ひょっとすれば、生きている事自体が奇蹟ではないかとさえ思うことがある。人は、生まれてくる国や親を選ぶことは出来ない。平等も自由も幻想だとすれば、生まれ出てきた境遇の中で、充実して生きねばならない。しかし、外側から見ればめぐまれた環境にありながら、不平不満の大海で溺れそうになっている人がいる一方で、悲惨な環境にありながらも明るく強く生きる人がいる。

この差は、幸せ閾値(いきち)にあるのではないか。幸せに感じるための心理的限界値が低い人と高い人の差ではないかと思うのである。


幸せの心理的限界値の低い人にとって、生と死の天秤は常に生のほうが重く、死に対するイメージは生の延長線上に漠然と存在する未知の物にすぎないようである。死に魅入られている人は、この天秤が反対に傾いている。しかし、人は変わることが出来る。この天秤は不動ではない。いつも少しずつ右へ左へと動いている。自分の心の中でこの生と死の天秤イメージを持っていると、今の自分の心の状態を少しは客観的に見ることが出来る。もしも、死の方へ傾いていれば、「こりゃいかん、何とかしなければ。」と考えて、「生きているだけでキセキだ。もうけもの。」と繰り返すと、天秤は少し生の方へ傾くかも知れない。馬鹿馬鹿しい楽天性こそが幸せ閾値を下げる秘訣と私は考える。