神社やお寺に行くと、狛犬や金剛力士像がペアーで置いてあるが、よく見ると、一方が口を開けてもう一方が口を閉じている。口を開けている方を阿形といい、口を閉じている方を吽形という。阿吽とは仏教の真言という呪術の一種で、吐く息と吸う息という形で物事の初めと終わりを表している。インドのサンスクリット語(梵語)の始まりが阿であり、最後が吽であることに依っている。あらゆる事象の始まりと終わりを象徴している深遠な言葉である。


しかし、俗に言う「阿吽の呼吸」とは、そんな難しい意味で使われているのではない。

二人の人間が自然に呼吸をするように息がピッタリあって行動できることを言う。荷物を運んだり、何か作業をする時、ああだこうだと言わずに息がピッタリあっている時に使う言葉である。しかし、いままで阿吽の呼吸で作業できた経験は少ない。阿吽の呼吸で作業できる相手は自分と同じぐらいの技量と感性をもった相手に限られる。


よく「あの人はKY(空気読めない)だからといって、仲間はずれにしたり、尾ひれをつけて悪口を言ったりする人がいるが、アスペルガーだったりADHDだったりすると本人の努力だけではかなり難しい。発達障害は、周りの思いやりと助けがあれば改善される。それなのにKYだからといって排斥する人こそ精神的に問題ありの人である。攻撃性の強いアスペルガーやADHDは、まわりの人達を不幸にしてしまう。弱い立場の人をいじめずにはおれない人は、一度自分の衝動性について考える必要がある。現在では、いい薬もあるので精神科の医者の相談するべきである。体質に合えば、一粒の薬で人生が変わる人もいる。エスカレートすると人生をふいにしてしまう。他人を不幸にする人は本人自身も不幸である。まかり間違っても覚醒剤なんかに手を出してはいけない。脳が萎縮してしまう。

こんなことを考えていると、阿吽の呼吸なんて夢のまた夢である。せめて周りの人達の幸せを願える人でありたいものである。


いじめられて死にたくなった人は、どうすればいいか。死にたくなった時点で、うつ病になっていることを忘れてはいけない。即ち、死にたいと思っている時は、速、医者に行くべきである。いじめられる環境から逃げるべきである。学校も会社も行ってはならない。学校の先生や会社の上司は医者ではない。勿論家族も医者ではないが、相談は一応してみた方が良いが、埒が明かない時は精神科の医者に行くべきである。心療クリニックという看板を上げているところへ行って、「辛くてもう耐えられない。死にたくて仕方ない。助けてください。」といえば良い。

死んではいけない。家族の悲しみは、自分の苦しみに優るとも劣らないほどのものである事を忘れないように。何時の日にか、趣味、嗜好のあった人に巡り合って幸せになれるかもしれない。希望はいつも持っていることである。

私はと言えば、阿吽の呼吸で仕事を手伝ってくれる人をいつも探し求めているのである。儚い夢・・・・。