人は自意識とともに自我が形成される。他者と自分は違う意識体だという認識ができてくる。そして、自分の心の居場所というか住み家をを必要とする。


子供時代だから思春期に入るに従って、自分というものを客観視するようになると、将来に対する不安や友達付き合い等、心は疲れるし、傷つきもする。


そんな時自分だけの世界で心を休める。そんな場所は人によってそれぞれ違う。親や兄妹、友人さえ立ち入ることのできない自分だけの世界である。

そんな場所を家に例えるとピッタリなような気がする。小学生なら部屋であろうが、自意識が出来ると部屋数も増える。心を休める部屋、恋人を思う部屋、趣味の部屋、自慢のコレクションを飾っている部屋、そして、秘密の部屋・・・などたくさんの部屋が必要となる。色んな部屋がある家こそ心の例えにぴったりかなと思うのである。


窓から外を覗くことも出来る。鍵のかかる玄関ドア。はじめはガタガタの家であるかもしれないけれど、自信が着くとともに、家の構造もしっかりとしてくる。仕事部屋や倉庫、書斎なども増えるかもしれない。


家というよりは箱に近い形をした心もあるだろうが、本人にとってイコゴチが良ければいいのである。屋根裏部屋から、そっと外の世界を見渡すことができれば安心である。だれからもこの家の中は見ることができない。そんな場所が心の家である。


唯一、この家の中に住むのを許されているのが猫や犬のペットたち。一人でいるのは苦にならない人こそペットを必要とするのかも知れない。心の家に飼っているペットたちは餌も食べないしウンチもしない。人の孤独を慰めてくれるだけの存在。


用心深く塀を張り巡らせた家もあるかもしれない。人は様々である。

心の家はいっぱいの思い出といっぱいの希望に満ち溢れているかもしれない。もうこの世にはいない人達だけがお客になれるし、同居すら出来る。
亡くなった子供や親たちも心の家では生きて一緒にいる。私の場合、両親や夫や友人たちで賑やかな居間がある。それから、飼っていたペットたちも。


しかし、時には、嵐が吹き荒れて一部がペッチャンコになってしまう時だってある。人の心は時間さえかければ癒えるものである。残された心の家の何処かの隅っこで傷を癒やせば良い。幼い頃から増築を繰り返してきた家だから、中心には幼い頃の部屋が残っている。この中心になる部屋こそは、両親が作ってくれるものなのだが、この中心部屋がないと気付いた人は、自分が親になった時に遅まきながら作れば良い。自分で作れることはいいことかもしれないぐらいに考えて、理想の中心部屋を作れるのだからと。

こんなことを考えながら色んな家を描いている。特に窓から覗いている猫ちゃんを描かずにはおれない自分に笑ってしまう。

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