日本国中、津々浦々いたるところで見かけるのぼり旗。


起源は室町時代にまで遡ることが出来る。敵味方の区別のために考案されたもので、その後も、時代と共に色んな変遷を経て今日に至っている。2


道路沿いに見られる幟旗(のぼりはた)の多くは、商業用の屋外広告のためのものである。海外からの観光客はこの幟旗の多さにびっくりするそうである。


所構わず立てられたのぼり旗は、景観を損ねるばかりか、交通標識の邪魔や通行の妨げになることもしばしばである。


強風に煽られて台ごと吹き飛ぶ危険もある。又経年変化で色あせた旗や折れてしまったプラスチックの棹などは非常に見苦しい。


時々、この一本ののぼり旗がなければという場面に出くわす。街の通りは人間に例えるなら、顔に当たる。顔の真ん中に広告の旗をぶら下げるのはいかがなものか。


相撲、歌舞伎や芝居小屋、寄せ、祭りなど日本の伝統文化と関わりのあるものは、そのままでもいいと思うが、質の低下を招くようなのぼり旗であってはならない。


のぼり旗が規制されない理由の一つは、選挙にも使用されるからであろうか。

安倍総理が「美しい日本」という言葉を豪語するなら、せめてこの幟旗の規制を何とか考えてほしい。まずここから初めて国家規模で景観条例を見直し、看板や建物の基準を考えるべきではないか。おもてなしの心の中には、街の景観も入っているはず。


人目を引くだけのけばけばしい色を使ったのぼり旗を見ると、それを作った会社の商業倫理が見えてくる。


郊外ののどかな風景の中に突如現れるのぼり旗と看板。こんなことをしなくても、今は地図検索がある。もっと控え目な表示でもいいのではないか。海外の映画を見ていると街の景観の良さには眼を見張るものがる。第2時大戦後、ヨーロッパの街では、食べるものや着るものに不自由しつつもレンガを運びまず街を作り直したという。日本では長らくバラックの家が街の中心部に居座り続けたのと大きな違いである。

家屋の色と看板の色の規制をするだけでも街の景観はずいぶん変わると思う。