自分の心ほど扱いにくいものはない。なにかに取り憑かれるとそこから心を引き離すことは難しい。自分の心ががんじがらめになっているのが分かる。


自分の心から距離をおきたいとき、離れたい時にはどうすればいいか。


自分で自分の心をコントロール出来ないのであれば、自分の心から物理的に距離を置くより方法はない。


物理的に心から一番遠くに見えるのは空である。空なら夜でも見上げることができる。


空は24時間年中無休である。


あの遠い空から自分を見てみると、必死でしがみついていた大問題も小さく見えるはず。


360度地平線の見えるところへ未だ行ったことはない。


都会の地面にへばりついて都会の空を見上げる。


それでも、空の高さが自分の心との距離を実感させてくれる。


空を見上げてぼーっとしている人はあまり見ない。都会の人は空をちらっと見るだけの人が多い。


バッグからカメラを取り出して写真を撮っていると周りの人は一体何を撮っているのかと上を見上げるが、「馬鹿な暇人が空の写真を撮っているんだ。」と納得して2度と空を見上げようとはしない。


なぜ写真に撮るかと言えば、いくら24時間年中無休の空であっても、いつも美しいとは限らない。


空の美しい表情は、雲と太陽の角度。


冷たい空気と暖かい空気が上空でこすれるとできるうろこ雲。


夕暮れの一瞬、トワイライトはストレスを地平の彼方に連れて行ってくれる。


空の太陽を直視することは眩しすぎて耐えられないが、カメラで撮ることはできる。


朧月夜もいいが、おぼろ太陽もいい。厚い雲で半ば覆われているので、直視することができる。


光るものには無条件で惹きつけられる。


夕焼けの千差万別の表情は見飽きることがない。


地平線を遮る風景が、物語を紡ぐ。


夕焼けを見ていると明日という日を信じる気になれるのは、やはり、自分の心との距離感ではないか。


夕日が沈むのはあっという間である。この一瞬を何時でも見る事のできる生活をしてみたいと言うのが私の夢であった。


病気になって仕事をやめたので、期せずして夢は叶えられた。この簡単なことが出来ずにいた私。


雲のない空は、のっぺらぼうである。


雲は上空の状態を見せてくれる。


空というキャンバスへ雲という絵の具を使って描かれたアート。


今まで描いてきた絵が鼻くそのように思える。


人以外の動物でこの空のアートに心揺さぶられる生き物はいるのかと時々思う。


分厚いモコモコ雲の下で、人間は電気を作って送電線を張り巡らしてビルを建てて文明を一生懸命維持している。


生きていくのは大変なんだと空は知っているのだろうか。


空はな~んも知らないから、こちらも気楽に見上げることができるのだ。


都会ではないところから空を見ることをいまは夢見ている。


都会の夕焼けは何となくくすぶっている。


それでも雨が降ったあくる日は空の汚れが一掃されて透明な空になる。


子供の頃の夕焼けは、もっともっと輝いていた様に思う。


「上を向いて歩こう」の歌が世界的な大ヒットした理由が分かるような気がする。【自分の「心」と距離を置くには「空」を見上げるのが一番の方法。】というのはきっと世界の常識なのだ。何を今更と思う私であった。