大阪北部地震が起こる直前、自作の模写作品「神護寺釈迦如来座像」の額が何故か分解したように壊れて仏画が床に落ちてしまった。


額から出してもかなり大きな絵である。縦160センチ横80センチ位の大きさ。
アクリル版を入れた額の中から出して久しぶりに直に見てみると色んなことが思い出される。


京都芸大の模写は、復元模写なのでぼろぼろになったところもそのままに描く。
1年かかって毎日ちまちまと描き続けた日々が懐かしい。若かったからこそできたことだと思う。


台座の辺なんか、一日に5センチ角も進まない。自分との戦いであった。


村上華岳は、仏画を描くということは画室での祈りだというようなことを言っていた。


朱の発色を鮮やかにする部分は下地に胡粉をひく。


本来は切り金細工を施す部分は金泥で描いた。


絹本に描かれて剥離している部分をそれらしく描くにはパキンと折れたように筆先を動かせと祝先生に指導されたことを思い出す。


昔の感慨にふけっていると、額から仏画が落ちるなんて不吉だと息子はしきりと言うので、早速元通りにすることにした。


額自体が分解してしまってはいたが、もう一度組み立てて使うことにした。額が分解するなんてことがなぜ起こったのかいまいちはっきりしないのがちょっと気になる。


額のコーナーを丈夫に補強する。ほとんど息子が一人でやってくれた。


やっと、元通りに額装できて、息子はホッとしていた。それでもまだ息子は不吉だといい続けていると、大阪北部地震が起きたのである。


なんと地震で仏壇がひっくり返ってしまった。慌てて仏壇を起こすと中の物がガラガラと出て来てしまった。


開いていた仏壇の扉は物見事に壊れてしまっている。


これを予兆して仏画が落ちたと又息子は主張するので、まさかとは思うが、あまり毎日云うので半分ぐらい信じそうになってしまう。しかし、仏画がいくら落っこちて地震を予知してくれたとしても、こちらとしてはその事が、一体何を意味するのか分からないのであるから、どうすることもできないではないか。もう少し具体的に夢を見るとかの方が良かったのだけれど・・・。