地下鉄サリン事件から23年後の今日、オウム真理教の松本死刑囚ら7人に続き6人のの死刑執行が行われた。麻原彰晃以外の12人についてはそれぞれの差こそあれ長い拘置所生活で洗脳も解け反省の日々を送っていたという。麻原がいなければ彼らはこんな犯罪に走っていたであろうかと思うのである。不安と迷いの中で行きづらい若者達に対し、絶対的真理だと言わんばかりに答えを与えた独善者麻原。狂った独善者に付き従った彼らは同じく加害者なのか、それとも被害者なのか。この様なカルト教団の成り立ちや、信徒に加わり盲従する心理の研究も十分行われないままにあっさり死刑執行に至るのは納得できない。処罰主義の現日本の刑法はもはや時代遅れではないか。23年間の間にオウム事件のようなカルト教団のテロ行為を未然に防ぐ研究はなされたのであろうか。これ以上研究することも無くなったので処刑したというのではないように見える。政府の汚点から目を反らせるセンセーショナルなイベントではなかったのか。


彼らになかったのは情報である。麻原はオウム真理教を作る以前にはいかがわしい詐欺まがいの商売をしていた。
もし、あの頃、ネットが普及していたら、あれほど多くの若者が反社会的な麻原に付き従っていたであろうかと思う。彼らはあまりに狭い世界に生きていた。スマホで色んな情報を知っていたなら、あれ程の大量殺人にまでは至らなかったのではないかと思える。

オウム真理教はインテリヤクザでさえなかった。宗教法人の名に隠れたただのテロ集団に成り果てていた。


反対に彼らにあったのは、潤沢なお金である。サリンの実験などを可能にしたのは、豊かな資金源があったからではないか。ヘリコプターを買って空からサリンを撒く計画もあったという。宗教法人に対する特別扱いがなければ未然に防ぐ事のできた事件のように思える。宗教法人は治外法権の場ではないし、課税しないのもおかしい。人間が集団を作れば一種の脅威になりうる。狂信的な宗教法人が反社会的な行為に走ればとどまることなくエスカレートするばかりである。そのうえ豊富な資金があればなおさらテロ行為の規模も大きくなり被害は予想外のものとなるのは当り前のことである。日本は宗教国家ではない。それ故、宗教法人などというものを見なす必要はない。単なる法人ですら無い。思想の自由はあるが、収入には課税すべきである。あちこちで見かける宗教法人の立派な建物を見るにつけて税金を払わないと言うことはすごい事なんだと思わずにはいられない。オウム真理教の大きな建造物もすべて無税なればこそできたものである。本当に精神的なものを求めてできた集団であれば、お布施や寄付や購買等を強いるのは矛盾している。宗教団体の寄付が無税ならば遺産や贈与に対する課税も無税になる理屈である。何故、宗教団体を特別扱いするのか。政府には都合の良いことが多々あるのだろう。

オウム事件後、国は色んな法律を作ってきたが本質的な部分については目をつぶってきた。オウム事件の一端は国が見過ごしてきた矛盾点にもある。ちょっと話は変わるが、道徳の時間にオウム事件のことが語られることなどあるのだろうか。