なにが好きか、何をしたいかということは幼少の頃から聞かれて育つ。確かに小さい時は好きなことやしたいことがいっぱいあったはずなのに、いつしか少しずつ少なくなっていくようである。


「好きなこと・したいこと」は、親との会話や学校の先生との会話では頻繁に出てくるフレーズである。友達との会話でも時々出てくる。特に進学や就職のときには切実な問題になってくる。
それなのに成人する頃には「したいことが特にない。」と答える人が増えてくる。これは、非常に不幸なことである。
ただ、依存症になる要素を持っているものは好きとかしたいことには入らない。
ゲームの場合は、一方的に受け身でプレイするだけの場合は依存症の範疇に入る可能性があるので好きなものには入れない。しかし、ゲームのソフトを作るとか攻略本を書く場合はしたいことに入れても良いと考えている。


単に好きなだけの場合、自分もやってみようとして出来なかったり不評をかったりすると、諦めてしまい今まで好きだったことがどうでもいいことになっていくのである。そんな人を多く見てきた。


好きなことはしたくなるが、必ずしも得意なことではない場合が多い。しかし、本当にできないのかどうかは少しぐらいの努力ではわからない。また、心底好きなら人がなんと言おうと努力し続けられるものである。たとえ生計を立てるための仕事にならなくても、生涯を通じてのライフワークにすれば、心豊かな人生を送れるというものである。好きなことがあるとどのような辛い時でも生き抜ける。


好きなことがないのではなく、好きなことに出会っていないか、好きなことの周辺をよく調べていないか、又は、自分の心に対して正直に向かい合っていないのではないかと思う。若いときは自信がないし自意識も強い故に、情緒不安定な自分を客観的に見ることができない。楽観的な人はそれでもまだ救われる。しかし悲観的で自己嫌悪に悩むような人にとって、好きなことにまっすぐ向かっていくことは至難の業である。まして親や環境がそれを許さない場合、世界中が敵に見えてくるはず。


自分の好きなことに周り中が反対したとしても、人の心の中は誰にも見えないから安心して好きなことをしっかり見つめていることである。好きなことは自分の方向指示器というか磁石のようなものである。時間はかかっても少しずつでも努力をしていれば1歩ずつ好きなことに近づいていることが実感でき日々の充足感にもつながる。

好きだという事としたいと思う事との差は、受け身か主体的かということである。音楽を聞くことと実際に自分が歌ったり演奏したりすることとの差である。


ただ、好きなことを仕事にする場合はかなり厳しい。プロである限りに置いて努力は計画的に成し遂げなくてはいけない。常に研究と自己研鑽を積まねばならない。
それができなければ、仕事にはせず趣味にしておくのが幸せというものである。
仕事となると好きなことよりも人間関係が優先する。自分の社会適応力がなければどんな才能も花咲かない。もしも、社会適応能力が極めて低い場合、それを補うのはひとの何倍もの努力である。それと時間とお金の使い方、心身の健康だけは常に心がけるように自分を訓練することである。好きなことのために自分をコントロール出来ないとすべてを失うハメになることを肝に銘じておくことである。


長い自分の人生を振り返ってみる時、好きなことに対する自分の才能とは、好きなことに対してどれだけ努力できるかということであり、その努力に苦痛感より喜びのほうが大きいということである。好きであるからこそ、情熱に後押しされた努力が持続するのである。

私の場合、親をはじめ周り中が私が絵を描くことを仕事にするのに反対し続けた。しかし、一度も自分の希望を捨てようとは思わなかった。病気になって仕事をやめた今、絵を描くことがこんなに楽しかったということをと思いだした。