GIGAZINE本社の近くの茨木小学校の校門は、元茨木城の櫓門を復元したものである。最初見た時は明治時代の門かと思ったものである。茨木城はもともとこの茨木小学校の片桐町あたりにあったらしいが、詳しい資料が残っていない故に「幻の茨木城」とも呼ばれている。

茨木城は、築城主は 茨木氏で15世紀初頭以前に築城されたものらしいといわれている平城であった。 元和2年(1616年)江戸時代に入って、元和元年(1615)茨木城は一国一城令により廃城となったといわれている。


現在の茨木小学校一帯が城址(本丸跡)といわれ、 小学校には現在、慈光院に移築された茨木城櫓門を復元した校門が建てられている。この門を入ったところには茨木城址の石碑が建っている。又、茨木城搦手門は茨木神社(大阪府茨木市元町)に移築されている。


茨木城は東西約200m、南北約300mで、東・南・北にも縦横に堀をめぐらした平城であったが、 現在城の遺構は残っていない。唯一現存する貴重な遺構は、大和郡山市にある片桐家ゆかりの慈光院の楼門と、茨木神社の搦手門だけである。


今ではなくなったが茨木名物の片桐最中があり、茨木城主といえば賤ヶ岳七本槍の一人片桐且元(かたぎりかつもと)と思いこんでいたが、弟が実質的な城主であったようである。
それでも桐の並木道なんがあり「桐一葉落ちて天下の秋を知る」との句を詠んだ片桐且元且ついて書かれた小説・坪内逍遥の『桐一葉』はあまりにも有名で、茨木市役所には片桐且元の像なんかも置いてあるある。

中村博司という人が「よみがえる茨木城」という本を書いている。目次としては「論考編(戦国・信長時代の茨木の町と茨木氏/ 豊臣秀吉と茨木城/ 茨木城の機能と構造/ 茨木城・城下町の復元案と廃城の経過/ 摂津国茨木の空間構造と交通路)/ 史料編(茨木町故事雑記/ 東摂城址図誌)」となっていて、茨木城について詳しく書かれているようなので一度読んでみようと思っている。
この中で、茨木城・城下町の復元案は豊田裕章という人が作った復元模型を参考資料としている。幻の茨木城と城下町をおぼろげにも想像できるのは嬉しいことである。