いろんな家を見ていると、家にも家相という顔があり長い年月とともに心も芽生えてくるのが分かる。近頃では、家というのは人間が入って命が宿る大型ロボットのように思えてくる。

中には、同じ様な窓が2つ並んで目のように見える家もある。文句なく顔に見える家は見上げるたびに何か話しかけてくるようで可愛い。


特にこの並びの家は、建築家が意図してデザインしたのではないかと思うほどはっきり顔と分かる家が建っている。


左手の黒い家なんて目に涙をためて今にも泣き出しそうで思わず笑ってしまう。右側の黒い家も同じ窓が2つ並んでいるが、雰囲気が重々しい。
2件の黒い家に挟まれた白い家は、キョロキョロして目のやり場に困っている。

あの目に見えるような窓の向こうにはどんな部屋があってどんな人が住んでいるのかなあと想像をたくましくしてしまう。


こちらは我が家の近くの家🏠。長ーい顔の家。


屋根越しに覗き込んで見張り番をしている家。


アヒルの様に口を尖らせて周りを見ている家。玄関をいつも見張っている。


ロボットのような顔の家。ただ口はあまりにも小さい。きっと思いの外気が小さい家なのだ。


この家は赤ちゃんがいるので、周り中の家に「赤ちゃんのお昼寝の時は静かにしてね。」と言っている。

空き巣や強盗達は、こんなにはっきり分かる顔を持った家には入りにくいのではないかと思う。昔の家はこんなに窓はないように思う。最近の建築基準法では十分な採光をとるため窓の大きさが規則で決まっているようである。ただ採光も必要だと思うが、ここんところの大型台風で一体何が飛んでくるのかわからない。窓には重いまぶたのシャッターか雨戸を付けたほうが良さそうである。

猫も長生きして猫又になるように、家も50年以上も経てば霊が宿るし心も芽生える。単なる物ではない。70年近く大事に使われてきた家を、お金儲けの地上げ目的で地主とぐるになり、家の持ち主には無断でショベルカーで解体しようとした会社は、きっと家の霊に祟られて罰があたるに違いない。

長い年月を家主とともに生きてきた家というものは、そこに住む人の歴史を肌に記録している。他人にとってはただのボロ屋であってもともに生きた者にとっては代替え出来ないものである。あの地上げをしようとした人たちが、いかに自分さえ良ければそれでいいという考えで生きてきたのかと思うと心の中が寒くなる。