自分でNET検索するのと息子が検索するのとでは雲泥の差がある。「いったいどこにそんなことが出ていたの?」というのが私の決まり文句になってしまった。その上に、検索速度がものすごく速い。横で見ていても何をやっているのかわからない。この得体のしれない輩を生んだのが自分だとは信じられない。よく子供は、自分は貰われっ子で本当の親はどこか知らない所にいるんだと思う幻想を抱くらしいが、私はその反対である。よくよく考えると出版社に勤めていた父親に似ているんだと思う。まあ、どちらかに似ていないと困るわけであるが。


息子の頭の中は、NETで仕入れた情報でいっぱいになっている。一つ質問すると、10倍になって帰ってくる。時にはわき道にそれて元の質問とはかけ離れたことを熱く語って聞かせてくれることもある。物の名前が一向に覚えられない私にとっては脅威である。私なんて容量が小さいのか、一つ入ってくると一つ出ていく。最近は年で、一つ入ると2つ以上は出ていく。


上の息子は暴力的なことが大嫌いである。「ペンは剣よりも強し」を信条にしている。暴力は振るわない代わりによくしゃべる。その内容がNETと直結しているような具合なので普通の人は歯が立たない。満身創痍になっても自分の主張は曲げない。わが子ながら「見上げたもんだよ風呂屋の煙突」である。


息子に言わせると、検索するときのワードの違いであるそうな。要するに私の場合、検索ワードが貧弱なのである。NETの世界は一つの宇宙である。その宇宙をどこまで広く深く知っているかが、検索するときに大きく影響するそうである。

私なんかは絵描きである。物作りは往々にしてリア充である。「リア充」の親から見ると「ネト充」のわが子は異星人。


しかし、ネト充のわが息子は今ではGIGAZINEの編集長である。適材適所を絵にかいたような仕事をしている。きっと幸せなんだろう。同じような仲間が集まって会社というより大学のサークルのような集まりである。ライスワークよりもライフワークを信条に生きるることを選択した面々である。彼らはNET検索の鬼である。