友人の話と写真に感激して、私も日野へ行きたくなって早速息子の運転でお雛様を見に行った。
3月3日はきっと混雑しそうなので早めに行ったが、閑散としていて落ち着いて散策することが出来た。


日野独特の桟敷窓(さじきまど)というものがあって、板塀に窓のように開けられたところから客間にかがられたお雛様が見えるようになっている。


桟敷というのは、見物するための仮設の場所から発展したもので、特別な見物席を意味するようになった。日野の桟敷窓は、元々は日野祭りの日に自宅の客間から前栽を通して通りを練り歩く祭りを見るための仮設の窓であった。祭りの当日だけ開かれ、簾を掛け緋毛氈を垂らし神社から自宅に続くハレの空間を演出する窓である。毎年5月3日の火のまつりの曳山や神輿などを見学するため高塀に設けられた窓である。
その桟敷窓を使って室内に飾られたお雛様を見学できるようにしているのである


日野商人の独創性は、単に商いだけではなくこのようなお祭りの桟敷窓のアイデアにも現れている。


日野は、京や大津と、北国や伊勢を結ぶ「交通の要衝」にあったので、各地の様々な文化の合流点でもあった。財を成した商人が各地の工芸品を持ち帰ったのは言うまでもない。


只、残念なのは季節的にはまだ寒いのでガラス窓が閉じられてあったために太陽の当たっている通りに面しているお雛様は光線が反射して写真が綺麗に撮れなかったことである。


それでも色んな家の中を覗いてお雛様を見学するということは楽しいものである。


普段は閉じられている桟敷窓である。5月の日野祭りにはきっと全開になることであろう。


一軒だけ桟敷窓が閉じられた家があった。


桟敷窓に緋毛氈を垂らしてあるのが遠くからでも目を引く。


女の子のいるいる家なのかな。


このお家は、中のガラス窓も開いていた。


お雛様をはっきりと写すことが出来る。


生け垣からこのようなも木製の高塀に変わった頃から桟敷窓というものが現れたという。


次々と失われていく桟敷窓ではあるが、新しく家を建て替えても桟敷窓の伝統を守っている家もある。


お雛様だけではなく色んな飾り物も並んでいる。


高塀の中の前栽のあるところも祭りの時は宴席が設けられたということである。


この家のお雛様はかなり古いものである。


お雛様の後ろの屏風もただの金屏風ではなく見事な松の絵が描かれている。


一番上のお雛様がガラスの反射で見えない。


日野に行ってその土地に根付いた伝統文化の重みをつくづく感じた一日であった。