GIGAZINN第一倉庫はこのままだといつ又破壊攻撃を受けるかわからない。予告もなくある日突然襲ってくる理不尽な破壊行為。警察は告訴状を受け取ってはいるがその後何の音沙汰もない。


一回目の解体工事を途中で中止させた時はこんな状態で、まさかこれ以上破壊されるとは思っていなかった。


ところが、又しても、破壊されたのである。ショベルカーの手が滑ったという理由である。この画像を見れば100人が100人とも故意に破壊しようとしていることは明白であるにもかかわらず警察は「故意であることを証明しなければ違法であるとは言えない。」と主張。地上げ屋企業にとってはこんなことは常識であろうが一般ピープルには納得できない。これに類似するような法の解釈による悲惨な出来事は世の中にたくさんある。


せめてもの抵抗に立入禁止のテープと立て札を貼ってみた。防犯カメラを取り付けて見ていると、不安だけが増していく。それならば、違った方向からの取り組みはないかと模索する。思いついたのが、この破壊された建物を現代アートとして世に問うことである。


私一人では、難しそうなのでGIGAZINE編集長にも手伝ってもらう。きっとこの間の映像を誰かがYouTubeライブで見ているのだろうと思いつつ、それでも無様によろよろと危なげな足元を物ともせず黄色い立入禁止のテープを建物にかけていく。


テープを固定できる場所が少なくて苦労する。


遠くへテープを差し渡すのは難しい。テープを一人が投げてそれをもうひとりがキャッチするのだが、毎回うまくいくとは限らない。


それでもここまでテープを掛けると解体現場を守っている気分になる。


黄色は危険のシンボルカラー。現代日本における危険って何なのか。国家はその危険から国民を守ってくれるのか。


法治国家なら、黄色いテープをこれほどまでに巻きつける必要はないはず。


法の効力はすべての国民に対して平等に公平に働くのだろうか。


法のグレーゾーンは、その時代の法の執行機関の倫理観と勇気にかかってくる。


誰が見ても違法であるとわかっているのに不起訴になれば、法の執行機関に属する人たちは、社会倫理も勇気もないということになる。


現代アートとは、諸説あるけれど「現代性を反映し、且つ、現代社会の問題性をも表現し、そこから現代に生きる人間の心に訴えかけようとする創作作品」と簡潔に定義しても差し支えないと思う。

そういう意味でまさにこの黄色いテープを巻きつけられた破壊現場は現代アートである。

アートは人が生きている証(あかし)であり自分のために自分が創る作品である。問題は「自分のため」という部分に色んな不純物が混在してくるのも人間の愚かさ欲の深さ故であるが、100%始めから終わりまで純粋な自己表現なんてものは自己欺瞞以外の何物でもないような気がする。

長年生きていると色んなものが見え過ぎてくる。自分のことについてもである。なかなか肩が凝る事ばかりであるが、この肩こりに効く薬は「アート」である。