年末にハードオフに行く息子の車に便乗させてもらってリサイクルショップへ行く。そこのオフハウスで見つけた羽子板。上にまかれたフィルムが経年変化で茶色くなっていたが、300円という値段の安さにひかれて買ってしまった。自宅に帰ってから汚いフィルムを剥がすと中は真っ新であった。


ただ図柄が刺青を入れた火消しというのがいまいちであったが、NETで調べてみると、江戸時代、火消しの喧嘩は江戸の華だったということである。

羽子板と歌舞伎 | 浅草寺歳の市
江戸の華(め組の喧嘩)
正月、品川宿島崎楼で取的が隣座敷の障子を踏み破り、その座敷にいた「め組の辰五郎」の子分藤松と取的の親方そして辰五郎との間で起きた喧嘩の話。
火事と喧嘩は江戸の華、鳶と相撲の喧嘩はその両方がもとになっているだけにその威勢のよさが窺い知れる。文化2年芝で起きた実際の喧嘩を劇化したもの。


裏を返すと、無地ではなく何やら札が貼ってある。よく見ると「浅草・羽子板市」と書かれてある。


浅草観音寺の羽子板市は聞いたことはあるが詳しくは知らないので調べてみた。

納めの観音ご縁日・羽子板市|聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト
毎月18日は観世音菩薩の縁日。なかでも12月18日は、「納めの観音」と呼ばれ、特に参拝者が多い。江戸時代、12月17日、18日は「観音の縁日」の人出を見越し、境内に正月用の品や縁起物の品を売る露店が集まり、「歳の市」と呼ばれるようになった。歳の市は他の寺社周辺でも催されたが、浅草寺の市の規模は江戸随一であり、浅草橋から上野に至るまで店が並び、大いに賑わった。
浅草寺の歳の市では、江戸末期頃より羽子板を売る店が多くなる。羽子突きの羽根は虫を食べるトンボに似ていることから、悪い虫(病気)を食べる、あるいは羽根の先端に付いている「豆」から、「まめに暮らすことができる」など、羽子板はもともと縁起物として扱われていたが、やがて女子が誕生した家に羽子板を贈る風習が盛んになり、羽子板が歳の市の主役になっていったのである。こうして歳の市は、やがて「羽子板市」と呼ばれるようになり、現在は12月17日から19日までの3日間、境内に数十軒の羽子板を売る店が並ぶ。店主の口上と客とのやりとりは周囲の見物客も楽しませ、師走の浅草の風物詩となっている。


今でこそ刺青は敬遠されているけれど、江戸時代においては粋なボディペインティングだったのだろう。日本の入れ墨は世界的にも優れた絵柄のものが多い。海外の本屋には刺青の本がたくさん並んでいたのを思い出す。

昔、子供の頃、お正月には着物を着せてもらって羽子板つきをするのが恒例であった。今ではそんな風景を見ることもなくなった。