暑い、水中も暑い。煮えてしまう。その熱いさなかオリンピックは始まった。
雨がやんだと思ったら、暑い夏が一気に始まった。その熱いさなかに、色んな物議をかもしながら東京オリンピックは始まった。
各国の入場行進を見ていたら、東京都知事はきっと怒り狂うのではないかと思うような態度の選手がいっぱい。
3密やソーシャルディスタントは勿論のこと、大声ではしゃいだり鼻マスクやカメラに映るためにマスクを外したり踊りまわったり、コロナのコの字も感じられない。
これらの選手達を詳しく調べたらさぞかし問題行動がゾロゾロ出てくるような気配がする。何しろオリンピックに出るような方たちは学校時代はスクールカーストの頂点に立っていた人がほとんどではないのか。
スポーツほど残酷なものはない。それ故にスポーツマンシップなるものが叫ばれる。参加することに意義があるオリンピックは、メダルを獲得してこそ意義があるオリンピックに置き換わってしまって、国家間の威勢を張り合う場となっている。入場行進で選手が一人しかいない国を見れば、後進国に違いないと思うだろうし、大勢の選手団を送り込んでいる国を見れば先進国だと判断する。オリンピックを提唱したクーベルタンは、この日を予想しえただろうか。
国ごとの、入場行進はやめて種目ごとの入場行進にしてはどうか。そして大企業のスポンサー制ではなく、4年間の個人寄付で、ギリシャでやるというのはどうかな。参加するのもままならない国にとって、未来永劫自国での開催は夢のまた夢である。世界平和に貢献する為なら、はっきりその方向性を出すべきである。
世界の祭典に大手を振って参加できる国とそうではない国の格差は、オリンピックを見れば一目瞭然である。今回のオリンピックが日本ではなくもう少し事情の違っている国であったならばどうであったかと思う。
コロナ感染者が1日何万人も出ていたり、ワクチン接種が思うようにいかないとか、コロナによって経済的負担ができないというような国だったら、バッハ会長は一体どのような決断をしたであろうか。
熱いさなか、国が用意した暑苦しそうなユニフォームで行進している選手団を見ていると、オリンピックという融通の利かない息苦しさを覚える。