1993年、ロシア連邦憲法第13条によって「いかなるイデオロギーも、国家イデオロギーあるいは強制的なそれとして定められることはない」と「定められた」のではなかったか。
一方、ソ連憲法(1977年)では、共産主義は「社会を指導し、方向づける勢力であり、政治体制、国家機構、社会団体の中核である」と定められていた。
これらからすると、現在のロシアは少なくとも共産主義ではないはずである。では一体何主義なのであろうか。ソ連崩壊から現在に至るロシアの足跡を見てみることにする。

そのソ連共産党も、1991年末にソ連崩壊し、ロシア連邦初代大統領、ボリス・エリツィンは、ソ連崩壊時になお1800万人の党員を擁していた同党に対し、解散を指示する大統領令を発した。しかし、1993年には、ロシア連邦共産党が設立された。そして、2003年以降の下院選挙でも、与党「統一ロシア」に対し、議席数で2位を占めている。しかし、その後、共産党は勢力を伸ばすことはできず2018年3月の大統領選では、同党のパーヴェル・グルジニン候補は、わずか11%の得票だったということである。

それでもロシア国民に中には、過ぎし日のソ連的な共産主義にノスタルジーを感じ懐かしむ人々が結構たくさんいるらしい。いかにロシア人がソ連を懐かしもうと、共産主義が再び優勢になって革命や軍国主義的な共産主義な社会体制になりたくないと、一般市民は考えているらしい。消費財の不足や粛清や住宅問題によって、ソ連共産党は西側諸国との経済競争に負けてしまったというのが現実である。

そこに登場したのがプーチンである。Wikipediaによると、

「プーチンはレニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれ、レニングラード国立大学で法律を学び、1975年に卒業した。KGBの対外情報部員として16年間勤務し、中佐まで昇進したが、1991年に辞職し、サンクトペテルブルクで政治活動を開始した。その後、1996年にモスクワに移り、エリツィン大統領の政権に参加した。連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任した。エリツィン辞任後、プーチンは大統領代行に就任し、4カ月足らずで大統領に初当選、2004年に再選を果たした。その後、憲法上、連続2期の大統領就任が制限されていたため、2008年から2012年までドミトリー・メドベージェフの下で再び首相を務め、2012年の大統領選挙では不正疑惑と抗議行動により大統領に復帰し、2018年に再選された。2021年4月、国民投票を経て、あと2回再選に立候補できるようにすることを含む憲法改正案に署名し、大統領の任期を2036年まで延長する可能性がある。」


このロシア共産党員のプーチンは、こうしてロシアの時計をソ連共産主義時代に巻き戻していったのである。

プーチンが大統領在任中、ロシア経済は8年連続で成長し失業と貧困は半減した。これによってプーチンは国民の支持を得てロシアを軍事大国へ導いていくのである。即ち、第二次チェチェン戦争、南オセチア紛争でのロシアの勝利を指揮し、大規模な軍事改革や警察改革を行っていったのである。

国家権力を手中に収めたプーチンは夢を実現するために着々と計画を進めていった。その夢は果たしてロシア国民の夢なのだろうか。気がつけば、ロシアは世界の反対にもかかわらずウクライナ侵攻を続行している。
プーチンにはロシア国民の姿も声ももはや届かない。周りを元KGBだった幹部で固めた政府を引き連れて彼はロシアをどこへ導いていくのか。

現在のプーチンロシアは、一体何主義なのか。強大な軍事国家、警察国家をひきいる独裁主義国家なのか。何故それほどEUと敵対しなければならないのか。ロシアは武力で周辺諸国を支配下におさめなければ第2の崩壊がやってくるというのか。

プーチンの妄想が世界を人々を戦争という恐怖に陥れている。今、彼を止められるのは、彼を選んだロシア国民である。