2022年3月5日、ロシア議会はウクライナへの軍事侵攻に反対する報道を実質的に禁止する法案を可決した。批判報道に対して最高15年の禁固刑が科されると言う。ロシアでの取材をする欧米メディアもその対象になることから“取材活動停止”が相次いでいる。

ウクライナ侵攻についてロシアの国営メディアは、「戦争」や「侵攻」「侵略」という言葉を使わず、平和実現のための武力行使、「特別軍事作戦」だという、政府の公式見解を繰り返す。この国の決定について、賛同する人もいれば、ロシアの未来に絶望し、国を出ることにした人もいる。

言論統制という手段によって、国民を支配しようという国家は、民主主義を放棄した独裁専制国家であると言える。ずらっと並んだロシアの議員たちは、プーチンという独裁者に手を貸し、心の中でいろんな言い訳を反芻しているのか。それとも、プーチンと同じ穴の狢なのか。


プーチンの頭の中に渦巻いている強迫観念は、世界最強のロシアという野望である。しかし、プーチンはソビエト連邦が何故世界最強の軍隊を持っていながら崩壊した原因を考えたことがあるのか。おそらく考えたはずであるが、その答えは残念ながら間違っていた。ただ、彼は今に至るまでその間違いに気が付かなかった故に、世界を恐怖のどん底に突き落としてしまったのである。
強い国家とは、国民の幸福度によっている。官僚の汚職や停滞した政治体制を維持するための言論統制と思想弾圧は国の根底を腐らせ、国民を恐怖によって支配する国家は、最終的には自浄作用を欠く故に決して繁栄することはない。言論の自由があってこそ国家は未来の可能性に向かって羽ばたくことができるのである。

暴君の父親に支配された家庭に育った子供のことを想像すればだれにでも分かることである。ヒットラーも、スターリンも、そしてプーチンも家庭的には恵まれていなかったようである。ただそこだけにとどまっていれば被害は最小限に防ぐ事が出来たのであるが、彼らは戦争という国家規模の洗礼を受けて怪物に変貌してしまったのである。プーチンの精神状態がよく問題視されるが、もはや問題視などという段階をはるかに超えてしまって、大量殺人鬼になり果てているのである。
もとKGBの仲間を集めて作られた政府の頂点に君臨するプーチンは、大統領選の前に「スーパープーチン展」なる展覧会を開き恥ずかしいとも思わなかったようである。こうなっては、人を支配する快感に酔った悪の権現でありスーパーサイコパスである。洗脳されている国民は一刻も早く目を覚まさないと、意図せず悪魔の殺人に手を貸すことになる。

戦争は、国際法が何と言おうが、集団殺人である。ただ罪に問われないだけで時には褒美さえもらえるので大きな勘違いをしやすい愚かで恐ろしい行為である。人道的兵器というものがないように人道的戦争も存在しないと肝に銘じるべきである。こんな簡単な道理なので戦争に大義名分が必要になるのである。戦争を始める張本人は決して戦闘の最前線には立たない。戦争の担い手は、物事の意味もよく分からない若者たちである。人殺しの大義名分なんてインチキと理解するべきである。人殺しを推奨する国を一刻も早く見捨てるべきである。