戦争というものはそこに至る長い確執というものがある。ロシアが何故NATOを何十年にもわたって敵愾心を持ち続けたかを調べてみた。


ソ連が台頭していた1990年以前、ヨーロッパでは1949年4月4日に調印された北大西洋条約の執行機関である北大西洋条約機構(NATO)は、独立した加盟国が外部からの攻撃に対応して相互防衛に合意することで、集団防衛のシステムを構成している。加盟国は、域内いずれかの国が攻撃された場合、集団的自衛権を行使し共同で対処することができる。
そのNATOに対抗して作られたのが、冷戦期の1955年、ワルシャワ条約に基づきソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟ワルシャワ条約機構(WPO)である。加盟国は、ソビエト社会主義共和国連邦、ブルガリア人民共和国、ルーマニア社会主義共和国、ドイツ民主共和国(東ドイツ)、ハンガリー人民共和国、ポーランド人民共和国、チェコスロバキア社会主義共和国、チェコスロバキア社会主義共和国、アルバニア人民共和国(1968年脱退)、モンゴル(オブザーバー)、朝鮮民主主義人民共和国(オブザーバー)である。しかし、ワルシャワ条約機構(WPO)は、東欧革命に始まり、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散した。
一方NATOの方はその後も存続し続けた。

WIKIPEDIAから要点を抜粋して時間順に見ていく


「ベルリンの壁が崩壊した後、西ドイツのコール首相は東西ドイツの統一を実現するために、ソ連の理解を得るべく努力したが、その際にゴルバチョフ書記長の懸念を払拭させるためにNATO不拡大を約束したとされる。」ただ、この約束は正式な書類にはされていなかったようである。


「ところが、1994年後半になって、アメリカのクリントン政権は、大統領選で東欧系移民の票を得るために、「NATOにはどの国も加盟できる」と表明して政策変更をしたのである。選挙ですべてが決まる民主主義、そしてポピュリズムのアキレス腱である。」


「このアメリカの豹変にエリツィン大統領は激怒し、アメリカに裏切られたと悔やんだのである。」ソ連解体によってできたロシアは、決して民主主義の国ではなく独裁国家であり、その野望は在りし日のロシア帝国であり、ソ連であった。


「1999年3月にチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟し、エリツィンも、その後継者とされたプーチンも猛反発したのである。2000年にエリツィンの後を継いで大統領となったプーチンは、その怒りをルサンチマンと共に爆発させたのである。」


「しかし、NATOの東方拡大はプーチンを嘲笑うかのように進んでいく。」プーチンはNATOをロシアの敵と定め、これ以降、元ソ連の共和国だった国のNATOへの加盟を阻み武力でロシアの支配下へ置こうとした。


「ロシア共和国の一員であるチェチェンで独立を目指す動きが出たとき、ロシア軍は武力で鎮圧し、2000年6月に傀儡政権を樹立した。チェチェン強硬派は世界各地でテロを繰り返しているが、これは「内政問題」なので、世界が関与できなかった。」


「2008年にグルジアで起こった南オセチア紛争では、ロシア軍が介入して、親露派が支配する南オセチアとアブハジアを独立させ国家承認した。このときも、欧米諸国はほとんど動かなかった。」このグルジアとの戦争は、ロシアがウクライナへ侵攻する予備戦となったようである。


「ウクライナでは、2014年2月、親露派のヤヌコーヴィチ大統領が、親欧米派や右翼勢力の反政府デモの圧力で逃亡し、政権が瓦解した。これを理由に、3月になると、プーチンはロシア系住民を保護するという名目でクリミア半島への軍事介入を始めた。そして、住民投票の結果を基にして、3月18日、クリミアを併合したのである。」このクリミア併合によって、ロシアはウクライナを支配下に置くことも可能だと考えたが、一方ウクライナはその後の8年の間軍備を進めていったのである。


2004年3月にエストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアが、2009年4月にアルバニア、クロアチアが、2017年6月にモンテネグロが、2020年3月に北マケドニアがNATOに加盟している。

ロシアにとってウクライナはNATOへの防波堤であり、どのようなことをしてもロシアの支配下に置かねばならなかった。クリミア併合で味を占めたロシアは、2022年2月24日、ついにウクライナへ侵攻したのであった。

早ければ4日間で、遅くとも1週間後にはウクライナは陥落すると見積もっていたロシアは、当てが外れ、ウクライナの猛反撃に苦戦する羽目になる。

今更、もし、クリントン大統領が「誰でもNATOに加盟できる」というようなことを言わなければこの悲惨な戦争は起こらなかったと言うことは、ナンセンスだとは思うが、キエフ陥落は時間読みになった今、それ以外の言葉が浮かんでこない。残念なのは、ソ連が崩壊しロシアができたその時点で、欧米各国はその後の世界の在り方を再編成する良い機会を逃してしまったということだ。ロシアは、ソ連の残した遺児なのだ。子供は時間とともに成長する物であり、親の敵を討とうとするかもしれないのだ。

遅かれ早かれ、ロシアはソ連解体後独立していった14の共和国を再び取り戻し、祖先が築いた昔の栄華を再興しようと躍起になる事であろう。そして現在、プーチンはウクライナへ侵攻し、なりふり構わない戦闘に突き進んでいる。

ただ今回、ウクライナにとって幸運だったことは、アメリカの大統領がトランプではなくバイデン大統領だったことである。そして日本にとって良かったことは、首相が阿部首相ではなく選挙区を広島に持つ岸田首相であったことだと思っている。