「過去300年にわたるロシアからのウクライナ語弾圧」Sergej Sumlenny氏のスレッドより
日本においては、言語の弾圧なるものを受けた経験がないが、言語の弾圧は、民族の魂の弾圧と同等の行為である。
つぎに、ウクライナの言語弾圧について書かれてあるスレッドを紹介する。
「過去300年にわたるロシアからのウクライナ語弾圧」
・スレッドの執筆者 Sergej Sumlenny氏:元ドイツ・ハインリッヒ・ボエル財団のキーフ事務所長。民間企業で中・東欧市場に関するビジネスコンサルタントも経験。2015年にハインリッヒ・ボエル財団のキーフ事務所長。専門はエネルギー移行、ジェンダー権、都市計画など。
「メリトポルで強制的なロシア語教育はじまる」に関連して、過去300年の歴史をふまえた解説スレッド:以下要約
・300年前からロシアはウクライナにロシア語を押しつけようとしていた
・ソ連時代もウクライナ語の弾圧は続いた
・歴代の抵抗者たちはシベリア送りで殺された
https://twitter.com/sumlenny/statu
・・ウクライナでは、ロシア占領軍が意図的に図書館を破壊し、教科書やウクライナの歴史、ウクライナの民族的抵抗に関する本を廃棄した。これは300年にわたる大虐殺の延長線上にある。
・少なくとも300年以上前から、ロシアはウクライナの国家的アイデンティティを排除しようとした。ウクライナの言語と文化に焦点を当てることで。1720年、ロシア皇帝ピョートル大帝は、ウクライナ語で印刷された神学書をすべて廃棄するよう命じた。
・1760年代、ロシアの女帝エカテリーナ2世は、ヴャゼムスキー伯爵にウクライナのロシア化計画を立てるよう指示した。「そうすれば、彼らはロシアを感じるようになり、我々から離れるという考えを忘れるだろう。」と意図のもとに行われた。
・1862年、100以上のウクライナの日曜学校が閉鎖された。1863年、ロシア内務大臣ヴァルイェフは、ウクライナ語は「存在したこともなく、存在しないし、存在しえない」とする「ヴァルイェフ通達」を発表した。これは現代のプーチンの発言と通ずる。
・1876年、ロシア皇帝アレクサンドル2世は、生活のほとんどすべての場面でウクライナ語を禁止する「エムス令」を発布する。 エムズ令では ウクライナ語の本の輸入・ ウクライナ語の書籍の印刷(一部の歴史的文献を除く)が禁止された。
・エムス令では、ウクライナ語による演劇の上演 – ウクライナ語によるリブレット、歌曲などの印刷、ウクライナ語によるあらゆる公の場での宣言などが禁止された。
・エムス令は、 学校からウクライナ語の本を一掃すること、 ウクライナの全教師の政治的見解をチェックし、親ウクライナ派教師のリストを作成することを禁じた。これらに反する教師は解雇されるか、ウクライナからロシア地方に移動させられることになった。
・更に、エムス令は、 ウクライナの科学者・作家であるドラゴマノフとチュビンスキーがウクライナに住むことを禁止することも命じた。
・ウクライナの詩人たちは起訴された。パブロ・フラボフスキーは、1885年に妻のナディア・シギダとともに、自宅でタイポグラフィを押収され、逮捕された。パブロはシベリアに送られ1902年に死亡、ナディアは北極海のカラに送られ拷問の末に自殺した。
・ ウクライナの詩の象徴であるタラス・シェフチェンコは、兵士としてシベリアとカザフスタンに送られ(帝政ロシアの典型的な刑罰)、絵を描くことも詩を書くことも禁じられた(彼はひそかに両方を行い、ロシアの暴力に関するものを含む美しい詩とグラフィックを残している)。
・旧ソ連では、時代によって言語政治が異なっていた。「コレーニザツィヤ」(旧ツァーリスト派エリートとの戦いの道具としてのウクライナ語支持)の短い期間の後、ソ連はウクライナ人とその文化に対する伝統的な弾圧を復活させた。
・ウクライナ語はロシア語の「弟」であり、ロシア語が支配的であるとされた。ウクライナ語はロシア語化するために改作された。一部の文字が廃止され(ґ)、(ロシア語には語彙がない)語彙格は「不要」とされた。
・…ウクライナ語に存在する多くの科学的な単語が取り消され、ロシア語のものに置き換えられた。これは後にロシア人によって、ウクライナには独自の科学的伝統がないことを「証明」するために使われた。例えば、流星やおおぐま座などの名称が変更された。
・国の伝統を守ろうとした人々は、訴追された。1972年、リヴィウで14人の学生や芸術家が、ウクライナの伝統に則った非政治的なクリスマスのお祝いに参加したかどで、KGBに逮捕された。
・「ブロック作戦」全体を通して、KGBは90人近くを逮捕した。ウクライナの詩人ヴァシル・ストゥスもその一人であった。彼は5年間ソ連の収容所で過ごし、帰国後再び逮捕され、1985年にシベリアの収容所で殺害された。
・ウクライナ語に対する残虐行為は日々続いていた。ソ連崩壊後30年経っても、ウクライナの国民IDにはロシア語のページがあり、名前がロシア語に翻訳されている。
・これらは明らかに、何世紀にもわたる抑圧の結果である。故に、ロシアの占領者が図書館を狩り、本を破壊しても、ウクライナ人は今更驚かないのだ。なぜなら、ロシアにとってそれはウクライナを破壊するごく自然な方法であり、少なくとも1720年以来彼らが行ってきた方法だからだ。
・メリトポルでは、侵略者が教師にロシア語で教育を始めるよう強要している-とイワン・フェドロフ市長が報告。 ロシアの犯罪者はすべての学校を訪問し、理解しがたいプログラムに従って、4月1日からロシア語で教育プロセスを開始するよう教師を説得している。 twitter.com/EnglishUkraine…
これら以上は、文化的侵略であり、戦前の日本帝国も大東亜共栄圏で行ってきたことである。民族独自の文化の根源は言語にある。武力によって征服した国が、支配下におさめた国を自国に同化させるために行う第2の侵略行為が、言語による文化的支配である。