旧ソ連時代の現存する核シェルターのすごさ。しかし、それ以前に考えることが・・・
ソビエト連邦は何千もの核シェルターを建設・設置するのに莫大な費用をかけた。核シェルターには十分な食糧、水、清浄な空気が備蓄されており、敵の上陸部隊との戦闘に備えて小火器まで置かれていた。
なぜソビエトの核シェルターは世界で最も安全だったのか – ロシア・ビヨンド
写真を撮ったDmitry Solodyankinのブログ
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冷戦時代、米ソでは、核戦争の可能性もありうると考えていた。そこで。両国では、核シェルターが競って作られた。
米国の核シェルターの多くが個人によって自宅の庭に設置されたのに対し、ソ連の核シェルターは、すべて国家によって設計、建設、設置された。ソ連では、核シェルターの大半は、最重要の大工場、大プラント、行政機関の建物の地下に作られた。
ソ連の各都市にいくつの核シェルターがあったかは、正確な数は分からないが、統計では、人口20万人の中規模都市には70~100の核シェルターがあったと思われる。モスクワやサンクトペテルブルグにはその10倍の数があったとされる。特に、二大都市の地下鉄駅は完璧な核シェルターと考えられていた。
それぞれの核シェルターには、100~1000人近くを収容できたが、かなりの密度であったと思われる。
ソビエトの質素な核シェルターでさえ、当時最新の冷却システム、化学兵器や生物兵器、放射性塵、煙から人々を守るフィルターを備えていたので、万一に備えての命を守るための高価な設備と言わざるを得ない。
食糧と水の備蓄とフィルターの正常な機能は、3日間持つよう計算されていた。この3日間を核シェルター内で生き延びることができれば、核爆発の最初の悪影響は回避でき、人々は核シェルターを出て危険区域から退避することができると考えられた。しかし、広島では、核投下後に広島に入った人たちも被爆している。
核シェルターには、貯水槽と、ディーゼル発電機も備えられていた。食糧と水の備蓄とフィルターの正常な機能は、3日間持つよう計算されていた。この3日間を核シェルター内で生き延びることができれば、核爆発の最初の悪影響は回避でき、人々は核シェルターを出て危険区域から退避することができると考えられた。ただ核爆弾の応酬を世界で行えば、地球自体が放射能に汚染される。
冷戦後、核シェルターの大半は倉庫に作り変えられたが、そのまま保存されているものも多く、今日でも防空壕としての機能を失っていないといわれる。ただ、これらの画像を見る限りでは、シェルターとして今日でも使うにはもう少し(いや、かなり)メンテナンスを考えなければならないようである。
当時ソ連の一共和国であったウクライナにも このような核シェルターが多く存在していて、今回のロシアによるウクライナ侵攻では非常に役に立っているようである。ニュースを見ていると、ウクライナの多くの人々は地下鉄の駅のシェルターへ逃げ込んでいるようであった。もし、このシェルターがなければ、どれほど多くの犠牲者が出ていたことかと思われる。
アメリカの市民が裏庭に作った個人の核シェルターなどは、竜巻からの避難には役立つが、核攻撃から身をまもるには無理だということである。特に最近の核爆弾は広島や長崎に落ちた原爆の何百倍もの威力があるらしいので、気休め程度の核シェルターでは命を守ることはできないということである。
ただ、核爆弾が投下された時点で、核シェルター内に避難していなければ意味がないが、この問題の解決が一番難しいのではないか。
核シェルターを作るより 核軍縮を考えた方が良いということは、子供でも分かる理屈ではあるが、悲しい事には独裁者の自己中な頭では無理なようである。核を廃止するより、独裁者を国の代表にしない努力の方が先決問題である。
ドイツのベルリンの壁が無くなった時は、これで核戦争もなくなるのだと思ったものであるが、今では冷戦時代よりも核戦争の危険性は増大している。悪人や独裁者は、歴史から積極的に多くのことを学ぶが、善人(凡人?)は歴史をただ眺めているだけなので、世界は悪人によって操られていることになる。世界が悲惨な状況になっても、善人は寛容なので悪をも許し、どうにもならなくなると諦めてしまうので、悪はますますこの世にはびこることとなる。特に始末が悪いのが、善人ぶった悪人である。
「わが国の民主主義に基づいて」等とのたまう中国の言を聞いていると、「強大な武力に基づくわが国独自の民主主義」と聞こえる。それ故、民主主義の定義等を国際的に定義する必要がある。