昭和の大横綱・第48代横綱大鵬(たいほう)の父親は、ハリコフ出身のウクライナ人
大鵬 幸喜は、北海道川上郡弟子屈町(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)出身の元大相撲力士。第48代横綱。優勝32回の昭和の大横綱である。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・ボリシコ(Иван Маркиянович Борышко)で、ウクライナ人の父の血を引いている。
大鵬は1940年(昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として、日本の領土である樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた[。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した、所謂白系ロシア人であったが、第2次世界大戦時中、旧ソ連軍に拘束され強制収容所へ送られてしまった。
大鵬の父親は、ウクライナ第2の都市ハリコフ出身でウクライナ人である。南樺太(現サハリン州)に移住して日本人女性と結婚。大鵬は南樺太敷香町で生まれたが、当時は南樺太は日本領であったため大鵬は外国出身横綱にならなかった。太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。
父親マルキャンの詳細については、Wikiwanndによると
『サハリン州連邦保安局や州古文書館の資料によると、マルキャンは1885年か1888年、ウクライナ東部のハリコフ県ザチピーロフカ地区ルノフシナ村に生まれた。ロシア帝国による極東移住の呼びかけに応じた農民の両親とともに、樺太に入植した。1917年にロシア革命が起こると、北樺太はアレクサンドル・クラスノシチョーコフの極東共和国に組み込まれた。1918年に北部の州都アレクサンドロフスク市のロシア移民の未亡人と結婚して一女をもうけた。その後、極東共和国が消滅し北樺太の社会主義化が進むと、革命政権を嫌って1925年にマルキャンは単身で日本治政下の南樺太の大泊(現:コルサコフ)へ亡命した。
1928年、洋裁店勤務の納谷キヨ(後志管内神恵内村出身)と結婚し、翌年から敷香で牧場を経営した。マルキャンは多くの日本人・白系ロシア人を雇い、肉や乳製品を卸して成功し、南樺太では知られた名士だった。
1940年(昭和15年)5月29日に敷香郡敷香町で幸喜が生まれた。
南樺太にはロシア革命以来、白系とされたウクライナ系・ポーランド系の住民がソヴィエト政府による弾圧を逃れて居住していたが、1944年に戦況の悪化により樺太庁の指示でこれらの住民を美喜内村の外国人居留地に移送した。マルキャンも一人居留地に移され、1945年8月に船で北海道へ引き揚げた家族との連絡は絶たれた。陸上でもソ連軍の無差別攻撃がしばしば行われ、約2000人の民間人が死亡し、亡命していた白系ロシア人も多く死傷し犠牲となった。
第二次世界大戦終了間際にソ連対日参戦とともに赤軍が南樺太に侵攻(樺太の戦い)してソ連が南樺太を実効支配するようになってからは、外国とのつながりのあったマルキャンは大泊でソ連当局に逮捕され、1949年に反ソ宣伝を理由に自由剥奪10年の刑に処せられ強制収容された。1954年に恩赦を認められて出獄した。その後、サハリン州立博物館の守衛を務めたが、1960年11月15日、肺炎のためユジノサハリンスク(豊原市)で死去した。息子イヴァーン(日本名:幸喜、四股名:大鵬)が幕内、入幕6場所目、関脇の地位で、初優勝する昭和35年11月場所中のことだった。
1989年、スターリン時代に無実の罪でサハリンで捕らえられて強制収容された人々がゴルバチョフにより公式に名誉回復された。』
マルキャンの人生は、革命と戦争に翻弄された波乱万丈の一生であった。ただ、戦後、この親子が再び会うことがなかったのが残念でならない。
2001年(平成13年)、サハリン州で自身の父親であるマルキャン・ボリシコ[注 1]の生涯が明らかになり、サハリン州の日本研究家の働きかけでウクライナのハリキフ市に大鵬記念館が建設された。大鵬自身もハリキフで相撲大会を企画しており、ロシアを挟んで日本とウクライナの国際交流の主役として脚光を浴びている。大鵬には友好勲章が贈られた。その交流はロシア連邦にも及び、2002年(平成14年)には北オセチア共和国出身のボラーゾフ兄弟を日本に招き、兄のソスランを「露鵬幸生」として自分の部屋に入門させた。弟のバトラズは「白露山佑太」として二十山部屋に入門させたが、後に北の湖部屋へ転籍した。
現役時代は美形力士で相撲も強くたいそうな人気であった。当時の子供たちの好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語は、当時の大鵬の人気と知名度を象徴する有名な言葉である。この「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉は、1960年代前半の高度経済成長期に、通産官僚であった堺屋太一が、当時若手官僚の間で時代の象徴として冗談で言い合っていたこのフレーズを、記者会見の中で「日本の高度成長が国民に支持されるのは、子供が巨人、大鵬、卵焼きを好きなのと一緒だ」と答えて紹介したことがきっかけで広まったとされている。
尚、現在、西幕下17枚目の獅司(しし、25歳)は、ロシアとの紛争が続くウクライナ出身で、同国から来た唯一の力士である。獅司が生まれたは、ウクライナ南部のメリトポリである。
身長191cm、体重165kgの巨漢力士で、本名はソコロフスキー・セルギイ。6歳からレスリングを始め、15歳で相撲に転向、現在の所属は入間川部屋である。