プーチン流に考えると大東亜共栄圏も軍事力さえあれば取り戻しに行けるという理屈か。
6月12日「ロシアの日」に於けるプーチン大統領の演説で、
ピョートル大帝は1721年、スウェーデンとの北方戦争に勝利し領土を拡大、大国の礎を築いた。プーチン大統領は、この北方戦争が征服を試みたわけではなくロシアに正当に帰属する領土を巡り戦っていたとし、そのうえで現在のウクライナ侵攻との類似点を指摘。ウクライナが正統な主権国家ではなく実際にはロシア領のため、軍事行動は正当化されるとの考えを示し、ウクライナへ侵攻を始めたというのである。
強大な軍事力さえ持っていれば、色んな屁理屈をこねて、隣国へ侵攻し領土を侵略してもよいということである。
日本も戦前においては、樺太(現在のサハリン)の南半分は日本の領土であった。本来日本の領土であったものを戦争に負けて一方的にソ連のものにされてしまったというのなら、軍事力がウクライナで手いっぱいになっているロシアに侵攻して取り戻すことは、プーチン流に考えれば可能だということである。
大東亜共栄圏とは、WIKIPEDIAによると、
・日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域」を指す。第2次近衛文麿内閣の発足時の「基本国策要綱」(1940年7月26日)に「大東亜新秩序」の建設として掲げられ、国内の「新体制」確立と並ぶ基本方針とされた。これはドイツ国の「生存圏(Lebensraum)」理論の影響を受けており、「共栄圏」の用語は外相松岡洋右に由来する。
・アジア諸国が一致団結して欧米勢力をアジアから追い出し、日本・満洲・中国・フィリピン・タイ・ビルマ・インドを中心とし、フランス領インドシナ(仏印)、イギリス領マラヤ、イギリス領北ボルネオ、オランダ領東インド(蘭印)、オーストラリア・経済的な共存共栄を図る政策だった。
・1941年(昭和16年)に日本がアメリカやイギリスに宣戦布告をして太平洋戦争が勃発し、アジアに本格的に進出すると、日本は大東亜共栄圏の建設を対外的な目標に掲げることになった。1943年(昭和18年)には日本の占領地域で欧米列強の植民地支配から「独立」させた大東亜共栄圏内各国首脳が東京に集まって大東亜会議を開催し、大東亜共同宣言が採択された。
・1941年(昭和16年)12月の開戦直後に開かれた第79回帝国議会の会期中、1942年(昭和17年)1月に行われた東條英機首相の施政方針演説で「大東亜共栄圏建設の根本方針」を「大東亜の各国家及各民族をして、各々其の処を得しめ、帝国を核心とする道義に基く共存共栄の秩序を確立せんとするに在る」と説明した。 重要資源を取るための国は主に満州国、中華民国、フランス領インドシナ(仏印)、タイ、イギリス領ビルマ、イギリス領マラヤ、オランダ領東インド(蘭印)、フィリピンからだった。
ロシアは占領した日本の領土を返還しようとはしない。プーチン流にいえば、そういう時は力づくで取り戻すべきだということである。
しかし、日本は戦争放棄を憲法で宣言しているのでプーチンのようなことはできない。しかし、自民党は憲法を改正して、プーチンのようにやりたいらしい。何の資源も持たない日本の生きる道は、武器を作り軍事大国になることであると、いうことなのか。第2次世界大戦の続きをしたいのか。何のために、憲法を改正したいのかはっきりしない。日本をどこへ導きたいのか。方向性をはっきり聞かせてほしい。スエーデンもフィンランドも中立国の立場を放棄してNATOに加入申請した。世界はプーチンによって翻弄されている。