大統領に就任した2000年にプーチンは、NATOの事務総長と面会し、NATOに招待してほしいと言ったが、加盟申請して順番を待たねばならないと言われ、特別扱いしてくれないのでNATO加盟に納得しなかったと言われている。

もう一つは、2000年に、クリントン大統領に対しも、ロシアのNATO加盟を打診している。しかし当時、ロシア経済は破綻しており、軍事力も衰退していた。西側の支援を得ることで危機打開を図ろうとしたが、クリントン大統領はプーチン大統領の提案を拒否した。

当時のアメリカは、冷戦で勝利し、軍事力だけでなく、道徳性においても勝利したと過信していた。そして世界をアメリカのイメージで作り変えることができると信じ込んでいた。この時のアメリカの自信過剰とロシアの屈辱感がその後も尾を引いたともいえる。

しかし、2002年には、ロシアを対等のパートナーという呼び方で、NATOとロシアの合同会議を設置して、仲間に入れてはいるが、プーチンは快くは受け入れなかったようである。このロシアと欧米のボタンの掛け違いはその後の世界の在り方に大きく影響したのである。

それ以前、2000年に大統領代行としてロンドンを訪れたプーチンは、ロシアのNATO加盟について、「ロシアの国益を考え、もし平等なパートナーということであれば、その可能性を排除しないのは当然だ。ロシアは欧州文化の一部であり、ロシアが欧州の中で孤立するとは考えていない。だから、NATOを敵対視することは困難だ」とも発言している。

2001年9月には、アフガニスタンへのNATOの介入においては、、プーチンは国連安保理でこれを外交面で支持するとともに、具体的な軍事支援でも協力したのである。

また同年11月には、訪米したプーチンは(テロとの戦いについて)「われわれは異なったやり方や手段を用いるかもしれないが、それは同じ目標に向かうものであり…、どんな解決方法が見つかったとしても、それは両国と世界における利益を脅かすものではない」という友好的な手記を発表した。また、同月行ったインタビューでは「ロシアは国際社会におけるNATOの役割を理解しており、この組織との協力を拡大する用意もある。もしわれわれが両者の関係を質的に変化させ、関係の形式を変容させるなら、NATO拡大という問題はもはや懸案でなくなり、 関連のある問題ではなくなるだろう」とまで述べ、NATOに対する理解を表明している。

その後にロシアは、経済的にも軍事的にも回復成長し、NATOに対してはそれほど危機感も抱いてい無し、ましてやNATOが攻撃してくるとも思っていない。今や、ロシアはNATOに関しては差し迫った大問題だとはみなしていない。

では、プーチンは一体なにを懸念し恐れているのであろうか。

プーチンの真の恐怖は民主主義による自由である。

国境を接するウクライナの民主主義の成功とその結果としての繁栄と自由を恐れているのである。民主主義による自由は、従来の旧ソ連時代から続くクレムリン体制の安定を脅かし、独裁的な国家指導の在り方そのものが問われることになる。

カラー革命とは、2000年ごろから、中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で民主化を掲げて起こった一連の政権交代を指すが、自由に対する大衆の抗議運動は、ロシア社会を根底から揺さぶる脅威であった。 プーチン大統領は、ロシアの国益(実際は、プーチンの利益)が、米国が支援したクーデターによって損なわれるのではないかと恐れたのである。2000 年のセルビア、2003 年のグルジア、2004 年のウクライナ、2011 年のアラブの春、2011 ~ 12 年のロシア、2013 ~ 14 年のウクライナの民主主義運動に対し、プーチンは敵対的な政策に方向転換したのである。しかし、表きって民主主義の自由が怖いとは言えず、 NATOの脅威を引き合いに出したのであった。

ロシアは勿論のこと、旧ソ連の勢力下にあった国々を、ロシアの独裁権力下に置きたいのである。一介のKGB職員から大統領の地位まで這い上ったプーチンにとって、この権力は何物にも代えがたいものであった。このプーチンの権力を脅かすものこそ民主主義による自由な未来と繁栄である。

ウクライナというロシアにとって兄弟国が、民主主義に染まっていくのが、プーチンにとって耐えられなかったのである。ウクライナの民主主義はプーチンの権力構造を脅かす。ロシアが民主主義に少しずつなって行っても悪いことはないが、それはもっと遠い将来であり、プーチンの時代ではあり得ないことなのである。プーチンは終世、独裁的大統領であり続けたいのである。プーチンは国民の自由とか幸せを願っているのではなく自分の権力の座の居こごちのみを心配しているのである。国民の命なんて何とも思っていないが、自分の命にはたいそうな配慮を惜しまないらしい。

一度権力の座に就いたものは、その力の魅力にしがみつき、終世手放そうとは思わない。そのためには何でもやるのである。この見苦しい所業は世界中で、いや実際国内でもいたるところに散見される。

世界中の独裁者はこの権力欲の権現なのである。近頃の独裁者の流行りは、民主主義を標榜することであるから、その代わりとなる言い訳に愛国心を振り回す。プーチン大統領の政治手法は,「管理された民主主義」という言葉によく表れている。