ハロウィン以上に怖い本当の戦場の悲惨さ
ハロウィンの悪霊より、現実世界の戦争の方が比較にならないぐらい恐ろしく悲惨である。
ホモサピエンスは本当に知的生命体なんだろうか。戦争がいかに愚かしいものであるかは歴史を見ればわかるはずである。
殺し合いは憎しみの連鎖を生み、人を戦場に駆り立てる。支配者は安全地帯から声高に若者を戦場に向かう勇気をたたえる。
累々と横たわる戦死者の悲惨さは、今ではNET配信され茶の間に届くと言うのに他人事ごとだと眺めている無神経さが恐ろしい。
ハロウィンの怖さなど、戦争の恐ろしさに比較すれば何ほどの物ではない。今年のハロウィンは戦死者も参列すべきではないか。
何より怖いのは徴兵制度である。兵士となって戦場へ行くことが国民の義務となり拒否することはできない。軍人だけが戦場で戦うのではなく一般人を戦場に引きずり出し最前線に赴かせるのである。逃れようのない戦争に国民の生活が巻き込まれ個人の命の保証など皆無となっていく。大国が小国に攻め入れば、小国は戦わざるを得ない。
ウクライナ対ロシアの悲劇は、パレスチナ対イスラエルの悲劇である。機能しない国連。大国の拒否権。
何故の大国なのか。まず軍事大国、それから経済大国、資源大国、IT大国など色々あるが、今一番必要なのは外交大国である。戦争を起こさせない外交、戦争をやめさせる外交、戦後処理の外交である。その意味で現在外交力を弱小国でありながら発揮しているのがウクライナのゼレンスキー大統領であろう。
戦争は、飢餓や伝染病、精神の崩壊などを人々にもたらす。人間に必要な衣食住を根底から侵食し始める。
戦争の怖さは、個人一人ではできないことも集団でならできるという事である。普通の人が残虐非道な行為を集団なら平然と行える怖さが戦場にはある。
科学兵器の発達が、戦争の常識を変えていく。戦争というものがロボットの代理戦争に移行していくのか。
しかし現在は弱小国が大国の代理戦争をやっているのが現状である。新しい科学兵器の実験場にすることを軍事支援というのか。
戦時の常識は日常の常識とは全く反転する。そんな怖い世界こそハロウィンで見せればいいとさえ思えてくる。