2012-02-26_0012
父の思い出を語るとき、必ず思い浮かぶのが「目」である。目は口ほどに物を言うというが、父の場合、怒ると「目」だけの存在のように思えてきたものだ。

大阪の町中に暮らす父にとって唯一の息抜きは、奈良に建てた山小屋に行くことであった。お正月はいつもこの山小屋で過ごすようになっていたが、ある年、焼き鯛を持ってくるのを忘れ、市内の家に車で取りに帰った。かなりの時間が経って戻ってきたが、ものも言わず、目を怒らせて家の中に入ってきた。その目の中に、地獄の炎を見た母と私は、何も聞かず、車の中を覗きに行った。車のアクセルとブレーキの間に、投げ捨てられた年賀状と鯛は、父が一人でキレて大暴れをしたことを物語っていた。母は何も言わず汚れた鯛と年賀状を片付けていた。その年の元旦は、沈鬱であった。

お正月も終わり4日に家に戻った母と私が見つけたものに、唖然とした。直径30センチぐらいのお鏡餅が玄関に転がっていたが、そのお鏡餅に折れたドリルの刃が突き刺さっていたことであった。横には、途中で折れた刃がついたドリルが投げ捨てられていた。
恐らく、父は何かのきっかけで怒りが爆発して、ドリルを持ち出しお鏡に穴を開けようとしたのだが、作られて日の浅いお鏡は水分が抜けておらず粘り気があった故、ドリルは途中で動かなくなり引っこ抜こうとしたが、失敗してドリルの刃が中程で折れてしまったらしい。その時の様子を推測するとおかしいやら哀れやらで、へそ曲がりで気象の激しい父のやり場のない怒りを推し量りかねたものである。

先日一枚物の大皿を探していて、元旦の日に父が何に腹を立てたかふと思い当たったのである。きっと、台所に立ったことのない父には鯛を入れる大皿が見つからなかったのだと思う。たったそれだけのことかと思うが、ただそのこと自体は引き金になっただけだ。父には口にできないもろもろの悩みが積もり積もっていたのであろう。

父の激しい気象を受け継いだ私達姉妹は、生きにくい人生を送ってきた。それでも私はぎりぎりのところで持ちこたえたが、激情に振り回された妹は可哀想であった。近頃は、少し落ち着いたらしい。父がなくなって10年ぐらい経つが、近頃何かの折に触れて思い出すことが多くなった。