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12月に入るとお歳暮の時期になる。デパートから大きなダンボールが届いたので、開けてみると中には、包装されて熨斗のついたお茶と茶菓子が入っていたが、およそこのダンボールの6分の1位の大きさのもので、あとは紙がクッション材として詰められていた。

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この白い紙はきっと大きな全判の大きさではないかと思い広げてみることにした。

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やはり私の予感は大当たり。白い全判の紙であった。このような紙はシワを伸ばして作品の下書きにする。新聞紙の見開きの2倍ぐらいの大きさである。

このような紙をくしゃくしゃに丸めて詰め物にするとはなんというバチ当たり。アマゾンの包装にも驚くが、少なくとも紙の詰め物にはお目にかかったことはない。SDカードがアマゾンから送られてきた時ほど唖然としたことはないが、地球環境がどうのと言っている一方で、この無駄使い。アマゾンは輸送のための規格を決めているために、大きなパッケージになっているということだが、地球に対して罪悪感はないのか。利便性や能率性のために、地球の大切な資源を無駄使いしている企業に今一度考えてほしい。紙類のリサイクルは、かえって高くつくと敬遠される傾向にある。巡り巡ってこの付けは、次の世代に払わせるという構図が出来上がっているのか。いっとき過剰包装廃止が叫ばれて少しはましになるかと思っていた矢先、ネット通販の普及にともなって、またぞろ、過剰パッケージが幅を利かせてきたように思えてならない。食品にしても容器代のほうが高いのではないかと思う商品も多々ある。等など。・・・・息子は「文句ばっかり言っている。」というけれど、「この資源の無駄使いのつけを払うのは、お前達なんだから。」と言い返す私であった。