日本民族の基盤には、鬼というものを、人間の禍福を支配する祖霊とみなし超自然的な存在とみなし、奉ったり排除したりアレヤコレヤの方法でなだめてきた。


天狗と鬼と般若は全くの別もんである。天狗は奥山に住む修験者のような存在で妖術なんかを使って人の目を欺くものであり。般若は、嫉妬に狂った女性が満願成就の瞬間に見せる形相である。天狗にしても般若にしても人間であるが、鬼は人間ではない。一種の霊的な存在である。


明日は、「鬼は外」の節分。節分とは季節の分かれ目のこと。2月3日は、冬から春への季節の分かれ目。春の豊穣を祈って行われる行事の一つが、鬼祓いである。


世界各国にはこの鬼と同じような存在がいるが、民族性に基づいた霊的なものである。


神として祀られる鬼は、死者の魂・先祖の霊であり、人知を超えた存在である。一方、ヒトに災いをもたらし、害をなす鬼は、幸福退散させなけがならない。節分の「鬼は外」は正にこの悪鬼なのである。豆を撒くだけでは足りず、家の周りに柊の垣根をめぐらし、その枝に臭い鰯の頭を刺して、悪鬼を遠ざけるのである。イワシの煙で燻すというのもあるが、昨今では単にイワシ料理をたべるだけにとどめていいことにしているようである。