短気は損気と言うけれど、短気というのは一体どういう事を言うのだろうか。


短気と言っても色々な種類がある。

気が短いというのはまどろっこしいことが嫌いとか、持って回った言い方や、形式張ったことに時間を取られることも我慢がならないというようなものから、行列に並ぶのが嫌だとか、待ち合わせの時間なのに相手が来なくて待っているのは5分が限界というものもある。更には、頭では今このような言動をするのはまずいとは分かっていながら、周りがグズグズするのでイラッとして思わず本音が出てしまうようなことも含まれる。共通項は、気長く待てないことと、セルフコントロールが苦手なことである。


気が短くイラッとくるとその次には怒りの感情が爆発するのである。短気な人にもいろいろな性格があるが、NETに出ているものを読んでいるとちょっと違うのではと思う。何故こんなに短気にこだわるかと言うと私自身も短気なのである。その短気のせいで、いろんな後悔をしてきた。それで短気の根底にあるのは、何かとよく考える。


結論から言うと短気の原因は育った環境だと考えている。短気な人の育った環境には必ず短気な人がいる。その度合が大きい人は短気の度合いも大きくなる。1種の条件反射になっているのである。短気な人に暴力を受けて育った人は、自分もまた同じようなことをする傾向が強い。人が育つ環境は、見方を変えると長期に渡る洗脳でもある。この育った環境で出来上がった性格を変えようとすることは非常に難しいことである。


子供は家族の小型版であり、やがて長じて、親の2世が出来上がるのである。性格の負の遺産が親から子へと受け継がれていくのをどこかで断ち切るのは、ひたすら自己認識に依っている。自分の短期な行動を後で客観的に分析することである。その短期な言動に対し言い訳をしないこと。人のせいにしないこと。そして、短気な行動の結果の人間関係を修復すること。要するに「ゴメンナサイ」を言えるようにすることである。


自分の短気を治すには、自分の周りに気の長い人を置くことである。友人や配偶者は絶対期の長い人を選ぶようにする。その次には気の長い人をよく観察し、口癖や行動のマネをすることである。


私が発見した一つの方法は「短気切り替えスイッチ」を自分で作って、イラっときたらそのスイッチをオフにする訓練をすることである。特に、仕事の場合にはこれが役に立った。短気切り替えスイッチは理屈ではない。オフかオンかの二者択一であるから、誰にでも出来る。仕事先にはこのスイッチをいつも持って出かけた。


ただ家族に対しては、気が緩むのか甘えなのかは分からないがスイッチを見失ってしまうことがしばしばあった。今思うと、家族にこそこの短気切り替えスイッチは必要だったと思う。おかげで、息子も短気になってしまったが、今からでも遅くはないと思って気長に対処している。


私の父は短気が服を着て歩いているようなものであった。母の方は気は短くはないが、セルフコントロールが苦手で本音で生きている単細胞生物に似ていた。おかげで私と妹は、この素晴らしい環境に振り回され洗脳されトラウマを背負い成人してしまったのである。


子は親を選ぶことはできないし、環境や社会や国を選んで生まれることもできない。オギャーと生まれたときから、人は不平等で不自由な環境を背負い込む。そのことを恨んでいる暇があるのなら乗り越えて自分の道を開くことに頭と時間を使うほうがずっと良い。

出来の悪い親を恨めば、同じ土俵に立つことになってしまう。気が付いた時には自分も親と同じような人間になっている。親を客観的に見ることが出来るようになれば親と同じ蹉跌を踏むことはない筈である。

これは、親から子供に宛てたメッセージというか、願いである。