私が自画自賛で日本一ではないかと思われること。
雪の画集を創ろうと思って、今までの作品を引っ張り出していたら、次から次へと雪の扇が出てきた。その雪の扇の多さにも驚いたが雪以外の扇のものすごさには我ながらびっくりした。1本ずつ違ったデザインの扇が押し入れ一杯分もあるのでチリも積もれば山になるとはこのことだと我ながら感心してしまった。
初めは好きで作り始めた扇であったが、いつもの癖で止まらなくなってしまって個展を開くまでになり扇作家と言われるようになってしまって苦笑したことがあった。
時間があれば絵ばかり描いていたが、四角い画面より扇形の画面が好きで、その独特の形の中に絵を描くことが自分の感覚に合っていた。
好きだということは理屈ではない。言葉では絶対説明の出来ないものである。
粋とみやびの世界が融合している扇の世界は、私が見出した美の宇宙である。まだ写真すらとっていない扇がいっぱいある。何とか私の命のあるうちに画像だけでも撮っておきたい。
扇を組み合わせて写真に撮っていると時間のたつのを忘れる。扇の創る空間にも魅せられるものがある。
扇の中には私のその時々の時間が詰まっている。私にだけわかる自分の絵日記のようなものである。
その中でも、雪の扇は格別に気に入っている。きっと雪の扇をこれほど作った絵描きはこの世にはいないのではないかと思っている。
そう考えると、きっと私は雪の扇に関しては日本一ではないかと思ってしまう。扇面のままで置いてあるものもある。今はその組み合わせで画像を創る計画をしている。時間はいくらあっても足りない。1日がたった24時間しかないというのが納得できない気分である。
昔の作品を見ていると若いからこれほどのエネルギーと情熱があったのだろうと、他人事のようにただただ感心する。今は目が肥えてしまってなかなか作品が完成しない。気に入らなくて破棄する方が多くなってしまう。
雪の六角形と120度の扇形の世界は、日本人独特の抽象的な美しさだと思っている。
寝不足で何を書いているのかよく分からい。