旧ソ連時代のモスクワの冷戦博物館「ブンケル42」の地下核シェルターの画像を見れば、マリウポリの地下シェルターを推測できる。
マリウポリの製鉄所地下シェルターの動画がアップされたが、何時のものかはわからない。そもそも、マリウポリ製鉄所の地下に広大な地下核シェルターがあるという証拠はどこもないが、ロシアがさもソ連時代の大型核シェルターがあるかのような振る舞いと、ロシアがあれだけ攻撃しても駄目だったこととがその証拠かなと推量するだけである。その根拠となるものの確証がない。言い出したただ一人の伝聞が広まって、まるで事実かの様に認識されたのである。
ロシアがマリウポリの地下核シェルターの存在する根拠として、旧ソ連時代のモスクワの地下核シェルターの存在があるからではないかと思う。ここは今ではモスクワの見学コースとして有名だそうである。この画像や動画を見れば、ロシアがマリウポリの広大な地下核シェルターの存在を難攻不落の要塞だと見なしたとしても不思議ではない。モスクワの核地下シェルターはモスクワ中の地下に張り巡らされているという。そこから類推すれば、核ミサイルが配備されていたウクライナの港町マリウポリにある欧州一の製鉄所の地下から、マリウポリの地下中に核シェルターが張り巡らされていたとしても頷けるのである。
以下、唯一の機密解除された核シェルターの画像で、備品なども当時のままにしてあるそうである。公開されているのはほんの一部で、これ以外にももっと多くの地下核シェルターがあるという。
このシェルターは、40年間、特殊施設だったが、建設開始はスターリンが生きていた1951年で、完成したのはスターリン死後の1956年であった。
一時的に特殊施設に派遣される専門家達は、目隠しの上職場に送られ秘密のトンネルを行くと、円筒状の4つのユニットに着く。その一つ一つに、それぞれの役割があった。第4ユニットは司令部。そのとなりの第1ユニットには、電話交換手、電信技手、暗号係。第2ユニットには遠距離通信機器があり、第3ユニットには、特殊施設でディーゼル自家発電機や換気装置があり、2基の掘削井戸もあり、1ヶ月の自給生活に足りるシェルターの食料備蓄があった。。
核シェルターで一番弱いところは入口で、この特殊施設は、放射能だけでなく、強力な波状攻撃も、光線も怖れる必要がないように設計されている。特製扉の重さはそれぞれ2トンもあり、シェルターは、地下65メートルの深さにある。
冷戦時代に、第3次世界大戦に備えてて周到に準備された核シェルターは、旧ソ連領内に約1000個建設された。モスクワにあるこの「シェルター42」は、機密解除されて冷戦ミュージアムになった唯一の核シェルターである。
『映写ホールでは、見学者グループに向けて「冷戦」というドキュメンタリー映画が上映される。これは、米ソ対立の時代について、軍拡競争について、国際緊張についての映画で、スクリーンには、ヒロシマ、ナガサキの原爆、フルトンで演説するチャーチル首相、クルチャトフ市、セミパラチンスク実験場、中距離ミサイル・・・など、見覚えのあるニュース映画のシーンがつぎつぎに映し出される。
米軍攻撃への対抗措置としての核弾頭ミサイルの発射シミュレーションは、見学コースに欠かせない見どころの一つ。シェルターは、数百年の使用を想定し、しかも放射能のチリひとつ、入り込めないようにと建設された。』
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『特殊施設は、24時間体制で機能していた。電信技手、電話交換手、無線通信士、暗号係など600人が、毎日、交代勤務していた。』
当時の司令官の机
通信機器なども当時のままである。
これらの機器は今でも動かせることができ、見学者に実演させている。
このモスクワの冷戦ミュージアム「ブンケル42」の画像から、マリウポリの地下にも同じような核シェルターが張り巡らされていると考えられるのである。プーチンをしてこの難攻不落の核シェルターの攻撃を諦めさせた理由がここにあるらしい。それにしてもなぜ、モスクワにはマリウポリの核シェルターの地図がなかったのだろうか。ウクライナにはその見取り図があったとすれば、どのように生かしたのだろうか。
我が国、日本には、一般市民用のどんな核シェルターがあるのだろうか。ちらっとでもいいから見せてほしい。