難民とは国境を越えて移動した人、国内避難民とは国境を越えず居住地と同じ国の中で移動した人を指すという事である。

1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発。 200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失った。
周辺諸国に逃れたパレスチナの人々は、以来「故郷への帰還」を切望しながら、70年にわたり難民として生活してきた。
当初70万人だった難民は、避難先で三世代、四世代目となり、 今や約560万人に達して世界で最も大きな難民グループとなっているという。
国連総会は1948年に、「故郷に帰還を希望する難民は可能な限り速やかに帰還を許す、そう望まない難民は損失に対する補償を行う」とする決議194号を可決した。しかしイスラエル側は社会的・政治的不安定を招くとして、一貫してこれを否認し、これまでに故郷に戻れたパレスチナ難民はほとんどいないのが現状である。

パレスチナ問題は宗教問題というよりは、現実的には一つの土地、水資源をめぐる二つの民族の対立と考えるべきである。

次のサイトを見るとパレスチナが第2次大戦以降如何にイスラエルに占領され続けてきたかよく分かる
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この地域の中心都市であるエルサレムは古代から神聖な場所として、多くの民族がその支配を争ってきた。 ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒にとっても聖地であるため、 国連は1947年の「パレスチナ分割会議」でもエルサレムを「国際管理都市」としたが、 実際には、1948~67年まではヨルダン、1967年以降はイスラエルに占領され、イスラエルは1971年にエルサレムを併合した。 エルサレムの東側と旧市街には多くのパレスチナ人が住んでいる。

周辺国に逃れたパレスチナ難民の多くは、無国籍の状態で、難民キャンプで暮らしている。
当初、一時的なものとして造られた簡易な難民キャンプの住まいは、無理な建て増しと老朽化で劣悪な環境になり、 人口密度が高く、電気や上下水道などのインフラも不十分なのが現実である。
国によって異なるが、難民は貧困や差別だけでなく、市民権を得られなかったり就業制限を課されるなど、 様々な規制を受けながら生活せざるを得ないようである。 義務教育と一次医療は国連が提供しているが、予算は年々縮小し、支援が行き届かない状況になっているということでる。
パレスチナの難民キャンプに生まれ、そこで育ち、平和な人間らしい暮らしを知らずに育った人たちの悲惨さをわれわれ日本人には想像することは難しい。このパレスチナ問題の責任は2枚舌を使った英国に責任があるように思えてならない。
3000年前に存在したイスラエル国家をパレスチナに建設しようというシオニズム運動は、常識では考えられないものである。紀元前に栄えた古代国家が、その主権を主張するという現実離れした運動が第2次大戦のどさくさに現実のものとなって以来、武力優勢のイスラエルが元の国パレスチナを一方的に侵略を繰り返し現在に至っている。
イスラエルはパレスチナのハマスの全滅を目指しているというが、ハマスだけではなくパレスチナ自体の消滅を目指している極右の勢力が主流になってきている。