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黄色いかぼちゃを見るとよく思い出すことがある。これも又、父の思い出の一つである。

2012-02-26_0005
父は、常に呼べばすぐに来られるぐらいの距離に母がいなくては承知しなかったのである。父が会社勤めであった頃は、母にはまだ自由になる時間があったが、脱サラをした父が、ほとんどの時間家にいるようになると、母は家を開けることができなくなった。その母が、父に頼み込んで町内会から行く日帰りツアーに行く許可をもらった。母は、夕方には帰ってくるからと断って、父の昼食も作り安心して出かけたのである。そうして、おみやげを抱えて夕方帰ってきた母の目に、自宅前の道路一面4~5メートルにわたって黄色い花が散っている光景が飛び込んできた。近づくにしたがって、母にはその黄色い花の正体がわかってきたのである。カボチャの実が割れて辺り一面に飛び散っていたのである。その数が並大抵でなかったので、母はすぐに何が起こったのか気付いたそうである。母は、道路に面したベランダで屋上菜園を楽しんでいたが、たまたまその頃、ミニカボチャに凝っていてプランターや植木鉢にところ狭しとばかりにミニカボチャを植えていた。その何十というミニカボチャをすべてベランダから表の道路に思い切り叩きつけたらしいのである。

母は、5分か10分遅れた観光バスの遅れを嘆きつつ、涙で手元が見えないままに、道路に散らばったカボチャを掃除したという。その後しばらくは、食卓にカボチャを見ることはなかった。

父は、5分や10分待てなかったのではなく、母が出かけるとすぐに時計を見始めたのだと思う。「行ってきます。」の時点からカウントダウンは始まっていたのだ。父の育ちを振り返ると、一人きりで残され、きっと寂しくて仕方なかったのだと思う。常に近くに侍らせている母がいないということは、寂しいなんて言う生易しいものではなかったはずだ。何事につけてもアバウトな母には、父の不安な寂しさを理解することはできなかった。父は、今で言う「愛着障害」ではなかったかと思う。父の孤独な悲しさは、怒りとなって爆発し、道路一面に黄色いいかぼちゃの花が咲いたのである。もし父がゴッホの様な才能に恵まれていたなら「黄色いカボチャの花」なる名画を残したかもしれないが、実際は、娘の記憶の中に父とカボチャの思い出を残しただけである。

私はこの歳になって、両親のすれ違いにやっと思い至ったのであるが、当時は口には出さず一方的に父を攻めた。黄色いかぼちゃは、誰にも理解されることのなかった父の哀しさを象徴している様に思われてならない。