綺麗に整備されたおしゃれな店や住宅が並ぶ都会を見慣れた若者には、戦後まもない風景は想像できないであろう。


2次世界大戦中に家を失った者は約1千万人、外地から引き揚げてきた者は約4百万人に達し、国は早急に住宅供給の対処を迫られた。戦後の住宅不足数は約420万戸という膨大な数にのぼり、壕舎や仮小屋(バラック)に居住するものも多かった。

そこで制定されたのが「罹災都市借地借家臨時処理法」(昭和二十一年八月二十七日法律第十三号)である。

「借りていた建物が天災で倒壊や焼失した場合、再築された建物を借家人が優先的に借りられたり、建物が借地上にあった場合は復興時に優先的に借地権が与えられることなどを規定していた。対象地域は個別事象が発生した際の政令によって定められる。ーウィキペディアよりー」

この法により、バラックが数多く建築され、都市の中心部に新たに借地が設定されることになった。


戦後のドサクサに経てられたバラックの住人が借地権だけではなく土地をも乗っ取ってしまうことも多々あった。


空襲で焼け野原となり、境界もわからなくなってしまい、そこにバラックを建てて多数の人が住み着いてしまい、土地を取り返せなくなった地主も多い。


地主の土地・建物の権利書は全て灰となり、国の登記所も焼け、所有関係を示す証拠書類が一切なくなってしまった地主にとって成すすべもなかった。


急いで消失した借家を立てようとしても資材の不足と預金封鎖とインフレですべてを失ってしまう地主もいた。

(大空襲のサイトより)
また、地主の家族が亡くなったり離散した場合も、土地は他人の手に移ってしまった。

土地の権利を守るため杭を打ち込み縄を張って見張りをたてるなどして、自分の土地を守った地主もいた。

(大空襲のサイトより)
交通の便の良い場所に建てられたバラックはやがて闇市に発展していった。


ただ、広大な土地を土地を所有する大地主たちは、用心棒を雇って土地を守ったようである。


不法占拠のバラックに深く関わっていたのが地元のヤクザであった。彼らは、戦後のどさくさを利用して縄張りを作り力をつけていったのである。


ヤクザと手を組んだ大地主は、戦後も安泰であったようである。一方、小さい地主たちの多くがその地を追われていった。


戦後は、弱肉強食の力社会であった。その戦後を生き抜いた者たちがその後の昭和という時代を作っていった。しかし、バブル崩壊によって「不動産を買えば必ず値上がりする」、「不動産には絶対的な価値がある」という土地神話も崩壊していったのである。