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大人になるに従って、本音と建前を使い分ける様になってくる。世の中にはいろんな人がいるので、無益な衝突や誤解を避ける為に、建前というものが必要になってくる。

よく聞くのは、「本当のことを言ってなぜ悪い。」というセリフである。本当のことを言ったら悪いこともある。「それでは嘘をつけというのか」と居直る人もいる。嘘をつく必要はない。ただ、口には出さないのである。黙っているという選択もある。大人の選択である。

たてまえだけの付き合いを称して、「襟元だけの付き合い」と言ったそうである。反対に、本音で話し合うことを「胸襟を開く」というらしい。

本音と建前の兼ね合いが難しい。建前だけで物を言われると、ビジネスライクになってくる。ロボットと話しているようなものである。

近頃、コミュニケーション能力が大切だとよく言われるが、この中身のほとんどが建前だけで成り立っているのではないか。しかし、人間らしく生きるための本音のコミュニケーションというものもあるはずである。日本人は、建前を重視するあまり、本音トークが苦手である。おやこ、夫婦、兄妹のような家族間ですら本音トークを避ける。争いを避けたい一心らしい。大人ならいざしらず、子供でも本音を避ける子もいる。建前だけのほうが楽だからと、本音を隠しているうちに、自分の本音とは何かを見失う。気のついた時は、自分を語る言葉がない。空洞の自分は虚しい。自己充足することが出来ない。一人になるとパニックになる。一番の恐怖は、孤独と無視されること。それ故、ぺらぺらの付き合いでも友達と称する。友達同士でも本音は言えないとしたら、このような関係を何と呼べばいいのか。日本では年齢に依らずこの傾向がだんだん増えている。

私は、本音トークのために、いろんな手段を試してみるが、やはり一番は、自分が本音で話すことである。2番めは、本音が話しやすい雰囲気を作ること。優しく、時には過激に。何年もかかってやっと本音で話し合えるなんて言うのはゴメンである。人生は短いのである。事なかれトークを何十回繰り返したところで、無益な時間が流れるだけで充実感はゼロである。本音を出しているうちに自分という人間が一体どういう人間であるか分かるようになってくる。