ひとり子の悲劇
何故か、私の友達にはひとり子が多かった。きっと家ではわがままなのだろうが、どの子も友達を非常に大切にしていたように思う。
高校の時の友達Tさんは、忘れることが出来ない。彼女は30代なかばで。自殺してしまった。彼女が最後に電話した相手が私であったという理由で、私は彼女の死にこだわり続けた。彼女はもちろん一人子であった。両親は出来る限りのことをした。ピアノ、バレエ、語学、そしてお勉強などなど。彼女は両親の期待に答えて努力もし、成果も上げた。ある時点までは負け知らずであったように思う。もし京大ではなく阪大に行ったことが、唯一の挫折らしきものであったように思う。その後の人生はきっと彼女の思い通りではなかったのだ。しかし私から見れば、彼女は彼女らしい人生を送っていると考えていた。大学卒業と同時に結婚、出産、そして離婚。シングルマザーとなった彼女は語学塾を経営し、かなりの成功をおさめていた。娘が思い通りのエリートにならなかったことが唯一の悩みだったように思う。その娘が高校生の時に、彼女は友達すべてに会ったり電話してから首を吊った。最初に見つけた彼女の娘が母親を鴨居から降ろしたときく。
その後、私は、彼女の母親や、娘や、友人や従姉にあって詳しい話を聴きいてまわり、やがて私が遠くから見ていた彼女とは全く違った人物像が浮かび上がってきたのである。ひとり子の悲劇であったと私は解釈している。
彼女の両親は、自分たちが成し得なかったことを彼女に望んだ。彼女は、二人の「生まれ変わり夢ペット」であった。
特にプライドの高い母親は、自分の結婚を失敗であったと思い込み、娘には事あるごとに「私のようにならないで」と繰り返し、娘にはお稽古事と勉強意外なにもさせなかった。父親は「いい大学さえ出れば」が口癖だったようである。
大学卒業後の彼女の人生を、この両親の視点で見るとき、「失敗」以外の言葉が見つからない。
彼女は、自分らしく生きたことはなかったと確信する。なぜなら、彼女は生まれ落ちたその時から、両親が引いたレールの上に載せられたのであるから。「イヤ」も「途中下車」もなかったに違いない。それ故、両親は、彼女に自立の仕方も挫折の対処法も教えなかった。彼女は自分が何を望んでいたのさえ分からなかったと思う。
ささやかな日常のほんのちょっぴりの幸せなんて言うものを、両親は知っていたに違いないと思うが、そんなつまらぬものは娘には教える必要はないと思っていたのだろう。今思うと、彼女は「愛」とか「幸福」とかをどのように捉えていたにしろ、優先順位は低かったに違いない。
彼女は両親のために生き、両親のために死んでいった。ひとつ救われるのは、彼女の娘は「愛」や「幸せ」ということを真剣に自分なりに考えたことであった。
一人っ子たちは、両親の愛情が重いという。重たすぎる愛情などというものはない。愛情の革を被った得体のしれない期待なのかもしれない。