大辞林 第三版 によると「 猫の目のようの用語解説 – 猫の目がまわりの明るさによって変化することから、物事がその時どきの事情によって目まぐるしく変わる様子。」


夜行性の猫は瞳孔が大きく開く。人間の3倍もある瞳孔は周りの明るさによって大きく開いたり、細くすぼまったりして様々に変化する。人のの気持ちがこんなに変われば情緒不安定ということになるが、思春期の頃はたしかに何にでも反応して一喜一憂するものである。


しかし、成人するに従って気分の揺れ幅も落ち着いてくるが、日によってはジェットコースターとまでは行かないけれど、自分ではどうにもならないほどブレが大きくなることもある。そんな時、一体どうすればよいかと考える。


気分の変動の原因の殆どは、対人関係である。であるから、人間から遠ざかることである。物理的に遠ざかることが出来ない時は、気持ち的に距離を取ることである。
あまりに距離を取りすぎると離人症のようになってしまうが普通はそんなことにはならない。
その他では、人間のことから離れて空の雲を見たり、自分の手のひらをボーッと見たり、音楽を聞いたり自分なりの方法を見つけ出すことである。


自分自分という意識から外界を見渡すことが大切である。自意識過剰になることほど気分的に重い事はない。そばで見ていても疲れる。人の目に映る自分の姿でしか反応できない人もいる。


その点、猫は一人でも平気であるし、人の目も気にしない。自分のテリトリーが侵されない限り動じることがない。
それなのに猫の目を引き合いに出されるとは何たることかと猫は憤慨しているに違いない。


結論的には、「猫の目のように気分が変わる自分を持て余す」時は、「猫を見習うべきである」ということになる。
対人関係に疲れる現代、猫が好かれる原因はこの辺にあるのかもしれない。

身近に猫がいない時は、「ねこ、ねこ、にゃんこ」と3回唱えると良い。(ニャンコ語録より)