お盆になると「地獄の釜の蓋が開く」という言い伝えについて。
明治時代に太陽暦への改暦があり、8月15がお盆ということになった。ご先祖の魂をあの世に送るための京都の五山の送り火はお盆が終わる8月16日である。
お盆、盂蘭盆会は、インドで作られたものではなく、中国の民間宗教が仏教と混じり、日本に伝わって独自発展を遂げたものである。
平安時代中期の天台宗の高僧で、浄土教の祖、源信(恵心僧都)が地獄の世界観を日本に最初に広めたのである。
源信によると、世界は「六道」(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)という6種でできており、この最下層が「地獄」であると説いた。
地獄には「八大地獄」があり、最下層は無間(むげん)地獄である。しかし、地獄にはお地蔵さまがいて、改心した亡者を引き上げてくれる。地獄に仏である。日本においてはこの地蔵菩薩は閻魔大王の化身(別の姿)と言われている。
毎日罪人を釜で煮ている地獄の鬼達も、旧暦の1月16日と7月16日だけは、釜の蓋を開け、休んでいるので、この世の者もみな、仕事をやめて休もうということから、「地獄の釜の蓋を開ける」というお盆の表現ができたらしいが、この他にも諸説がある。「藪入り(やぶいり)」といい、昔は住み込みの店の奉公人や女中もこの日は実家に帰ることができた。
釜蓋朔日(かまぶた ついたち)とは、『地獄の釜の蓋が開く日』のことであり、旧暦の7月1日新暦8月1日のことを地獄
の釜の蓋が開く日「釜蓋あき」「釜の口あけ」と言われている。あの世からふるさとに帰ってくる先祖の霊たちが、地獄の出入り口をあけてもらい、この世に出発する日だとされいる。そして、お盆を自宅で過ごした死者がふたたびあの世に戻りきるのが七月三十日である。七月中は地獄の入り口は開け放してある。この説話によると、「地獄の釜の蓋」とは、地獄とこの世との門のことであると解釈できる。
地獄の釜の蓋が開くとご先祖様たちがこの世に帰ってくるというのなら、人は亡くなると全て地獄に行くということになる。しかし、地獄という言葉が冥府・冥界全体を漠然と指している場合があり、地獄はこの世の罪を清めて楽園に行く過程の一つに過ぎないとする信仰が、近代になる前には存在していたという事実もある。
地獄の釜の蓋とは、死者を棺おけに収めて埋葬する風習から、死者を封じ込めた墓所の墓石や棺おけの蓋などのイメージと結びついたものとも考えられ、お盆には、棺おけの蓋を開け、墓石から地上に出てきて家に戻ってくると思われている。それ故、お盆の迎え火も墓所から家の玄関までである。
小さなしそ科の花で「ジゴクノカマノフタ」という小さな野草がある。別名キランソウ(紫藍草・金襴草/Ajuga decumbens)と言い、春先から初夏まで、日当たりがよい林のふちの斜面などに見られるが、その地面に丸く這うようにして生える形態からその様な名前がついたらしい。
地獄も見たことはないし、まして地獄の釜の蓋など想像すらできないが、きっとこんなものだと思って作ってみたのがこれらの万華画像である。
「お盆の海は危ない」「幽霊が足を引く。」というお盆の海に関する言い伝えがある。
お盆の時期は季節の変わり目に当たり、海水温が低くなり始めるときであり、「土用波」と言われる遠くにある台風からやってくるうねりが生じる時期でもあるのがその由来となったものであろう。
ラテンアメリカ諸国における祝日の一つ「死者の日」やヨーロッパ起源の「ハロウィン」は、日本のお盆とよく似ているが、時期(10月31日)が違うのは、これらはもともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったからである。