政府の報道を見ていて民意と噛み合わない違和感はどこから来るのかと考えてみた。政府の発表やピーチク会見を見ていると虚無感に襲われる。


政府の言うことには科学的根拠というものがないのである。要するに政治として今回の感染拡大や緊急事態宣言を捉えている。
新型コロナウイルスという札を使って政治的にいかに権力を拡大するかという策略に殆どのエネルギーを費やしている。安倍首相を頂点とする数名の人間が新型コロナを人質にして引き換えに法案を決めようとしている。そのひとつが憲法改正であり年金の75才以降からの給付問題である。
科学的に解決しようとは全く考えていない。数名で決めてしまった466億円の布マスクは、WHOへの50億の寄付でなんとか体裁だけはつけたようである。国民の税金を使っているにも関わらず、どこの会社がどのような内訳で作ったのかひたすら隠し続けている政府。「洗えるマスク」を配れば国民は安心するからという理由で作り配られるマスク。定形封筒に入らないのでサイズが小さくなったって構わない。
新型コロナウイルスをいかに利用できるかが政治家としての値打ちということらしい。感染の検査には力を入れないだろうし、緊急事態宣言だって、保証なしの形だけ。政府が考えていることは、現在の感染問題ではなく感染が終わった後の事である。それも国民のためではなく自分たちにとっていかに得をするかという事である。


彼らにとっての数字とは選挙の得票数であり、献金のお金の額である。決して科学の統計上の数値や臨床実験結果の数値ではない。
本当に国民の健康と生活を考えているのなら、世界中から後ろ指を指されるような現況には至っていない。

安倍内閣の3大原則「約束は守らない。記録は残さない。数字の改ざん」は、新型コロナウイルス感染に対する非常事態宣言にも立派に反映されている。
6ヶ月毎に変異を繰り返す新型コロナウイルスのワクチンを作るのには1年から1年半かかるのでワクチンという希望は持てないのである。もし100年前のスペイン風邪のように第1、第2、第3のパンデミックの波がやってくるとしたら、日本の政治屋たちは一体どうするつもりなのか今からでも考えておいてほしい。

5月6日になって非常事態宣言を取り下げる数値の改ざんに、あれこれ頭を悩ましていなければいいのだけれど。