6月30日は人魚の日であるのを知ったのはつい最近のことである。人魚の日とされる「ルサール」は東欧のベラルーシの首都ミンクスで6月中旬の日曜日に行われており、6月30日に決められているわけではない。ルサールカ(女の霊で厳密には人魚ではない)に選ばれた女性は行列とともに畑に連れ出され、夏至祭の儀式が行われる。夏至の時期に行われる「夏至祭」では、人魚に選ばれた若い村娘が民族衣装を身にまとい頭に植物の花冠をのせて豊作を祈願して焚火を飛び越えたり踊ったりする。、ベラルーシではこの踊りを人魚の舞とみなしているようである。この祭りが人魚の祭りとなり、いつの間にか、6月30日が「人魚の日」になったようである。6月30日というのは、かなりアバウトである。同じことなら、夏至の日にした方が納得がいく。

子どもの頃アンデルセンの人魚姫の童話を読んでショックを受けたものである。このストーリーに納得できなかったのは、きっと私だけではないと思う。子供の読む童話では、ウ用曲折はあっても最後はハッピーエンドで終わり、めでたしめでたしである。ところが、「人魚姫では人間の足を手に入れる代わりに、美しい声と歩く度にすさまじい痛みを伴う足というハンデを負うが、結局恋した王子様とは結婚できず、海の泡となって亡くなるのである。3段階の不幸である。子供の頭では消化できないストーリーである。小学校の修学旅行で言ったお伊勢さんで人魚のスノーボールを買った私は、成人するまで部屋に飾って、事あるごとに思い出しては人魚を描いていた。

人魚についての記述は、古くは推古天皇のころよりあるが、詳しい記述は、『本朝年代記』や『吾妻鏡』の頃からであり、その後、井原西鶴などによってお話として作られていった。

・推古天皇27年(619年)4月、近江国蒲生河(日本書紀・太子伝)

・『本朝年代記』によれば、
人魚が津軽浦に宝治元年(1247年)3月20日に流れついた時、兵乱が起こり、平安な生活を願って人々が祈祷したとある。

・「吾妻鏡』によれば、
宝治元年5月11日に津軽に姿が死人のような大魚が流れついたが、その時海水が赤かったとある。

人魚は「怪魚」であり、嵐をよぶ怪物であり嵐の前兆をつげるものであったらしい。人魚を天変地異などを招く「不吉なもの」とみなした。また、人魚出現時に海水が赤くなるなどの異常現象が起こったとされる。


近年以降に書かれた小説には西洋の影響があるとはいえ、その根底には日本独特の世界観がある様に思える。

・【井原西鶴「命とらるる人魚の海」】
奥の海には、目なれぬ怪魚のあがる事、其例おほし。後深草院、宝治元年三月二十日に、津軽の大浦といふ所へ、人魚はじめて流れ寄、其形ちは、かしらくれなみの鶏冠ありて、面は美女のごとし。四足、るりをのべて、鱗に金色のひかり、身にかほりふかく、声は雲雀笛のしずかなる声せしと、世のためしに語り伝へり。

・【太宰治「人魚の海」】
後深草天皇宝治元年三月二十日、津軽の大浦といふところに人魚はじめて流れ寄り、其の形は、かしらに細き海草の如き緑の髪ゆたかに、面は美女へを含み、くれなみの小さき鶏冠その眉間にあり、上半身は水晶の如く透明にして幽かに青く、胸に南天の赤き実を二つ並べ附けたるが如き乳あり、下半身は、魚の形さながらにして金色の花びらとも見まがふこまかき鱗すきまなく並び、尾鰭は黄色くすきとほりて太いなる銀杏の葉の如く、その声は雲雀笛の歌に似て澄みて爽やかなり、と世の珍らしきためしに語り伝へられてるるが、とかく、北の果の海には、このやうな不思議の魚も少からず棲息してみるやうである。

・【蒲原有明『有明集』「人魚の海」】
怪魚をば見き」と、奥の浦、奥の舟人、一「怪魚をか」と、武辺の君はほほゑみぬ。(最初、何回か「怪魚」の表現が使われた後、途中から「人魚」に変化する。最後は武辺の君の亡骸と共に、娘の姫も、人魚も海の底に沈んでいく。

・【谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」】
<人魚に恋した漁師は、恋のために自らの魂をも切り捨て、ついには人魚の亡骸と共に海に消える。人魚の姿は、白い皮膚、氷のようにつめたい肌、炎のように暑い心臓、海蛇から人魚への再変身など。この「人魚」の出身地は南国の地中海である。西洋の小説の影響が大きい。

・【新潟県の大潟町に伝わる伝説「人魚塚」】
人間の男に恋をした佐渡の女(人魚)は、毎夜45里を泳いで男に会いにくるが、空恐ろしくなった男は常夜燈を消す。標的を失った女は、翌朝死骸となって砂浜で発見される。越後の男のその後は定かでない。死体の下腹には人魚のやうに、細やかな美しい赤と銀の鱗が生えて居て、美はしい顔はうらめし気に真珠の歯を食ひしばって、長き緑の髪は藻のやうに乱れ乱れて居た。

・【小川未明の「赤い蝋燭と人魚」(大正10年、1921年)】
赤い蝋燭を作って生活を助けた心やさしい人魚。その人魚を金に目がくらみ香具師に売った老夫婦。その結果、老夫婦の住む町を破滅させる。この人魚は、黒目勝ちで、美しい頭髪の、肌の色のうす紅をした、おとなしいりこうな子で、長い、黒い頭髪である。


西洋の人魚は、嵐を起こし舟を難破させる恐ろしい存在であるが、一方、民話の中では水の妖精として語られることもある。王子に恋した人魚は願いかなわず泡となって死んでいくアンデルセンのお話はあまりに有名であるが、人間中心の世界観に貫かれている。人魚はあくまでも動物であって魂を持つ存在ではないし、何百年生きながらえてもただの妖怪でしかない。

一方、日本の人魚は、災いを招いたり予言をしたり人知を超えた海の生命体としてとらえられている。食べるととても美味なうえ不老長寿の効果があるとされる人魚。人間はその長命の御利益にあずかろうと人魚の肉を食べて長命を得ようとしたりもする。陸に住む短命の人間と海に住む長命の人魚という考えがその生命体の根源にある。住む世界が異なりどこまで行っても相いれない存在である。怪魚や海蛇が時間とともに美しい人魚に変容していったりもする。アマビエもまた、人魚の変容した一形態だと思っている。

私としては、ホログラムの箔を使って人魚を七色に仄かに光る海の精霊として描きたい。かなり長い年月の間、ああでもないこうでもないと人魚を描いてきた。今年中に整理して電子書籍にしたいと思っている。