私の住んでいる駅の近くは旧市街である。このあたりには昔からの商店街があり、その入り口近くにお地蔵さまが飾れている。よく手入れされいつもきれいな紅白の涎掛けがかかっている。時々色紙なんかも貼られている。一つ一つ見ているとかなり古くからあるお地蔵さまだということが分かる。六体地蔵と言われるように6体が普通であるが、ここは11体ほどもある。人々が一体又一体と持ち寄ったのであろう。破損して古くなっても捨てないで保存している。このあたりにはこのようなお地蔵様の祠が多い。正に、日本昔話に登場するようなお地蔵様である。


仏教では、釈迦が入滅して56億7000万年後に弥勒菩薩が現れ、悟りを開いて人々を救うとされている。しかし、それまで、人間は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻しながら、苦しまなければならない。
日本では平安時代以降、地獄を恐れる風潮が強まり、地蔵菩薩への信仰が庶民にも広がり民間信仰へと発展していった。村のはずれに立つ地蔵が六体あることが多いのも、お地蔵様が六道を巡りながら人々の身代わりとなって苦しみを背負ってくださるという信仰からである。近世以前は大口の寄付は時の政権や貴族などの上流階級であったので、貧しい人々を食い物にする宗教団体は余りなかったようである。

地蔵菩薩の起源は、インドのバラモン教の神話に登場する大地の女神プリティヴィーで、大地を守護し、財を蓄え、病を治すといった利益信仰があり、これが仏教にも取り入れられ、地蔵菩薩が成立したとされている。


成立期の地蔵信仰は、その成立基盤となった仏教の持つ宗教特性を引き継いでおり、仏教の教義に基づいた宗教的色彩の濃厚なものであったが、時代を経るに従い、一般庶民には小難しい理論教義より現世利益色彩を強める傾向にあり、すでに室町期には、子供や地域の守護と結びついた民間信仰としての性格を色濃く持つようになった。
現代の都市社会における地蔵信仰は、そのもともとの成立基盤であった仏教の持つ宗教的特性を変化させ、その宗教的色彩を弱めていった。神仏習合(しんぶつしゅうごう)という日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成された宗教現象が、民間信仰の特徴をなしている。


現在、京都市内には約5,000のお地蔵さんがまつられていると言われ、街中ではきれいに化粧され紅白の涎掛けをかけたお地蔵さんをよく見かける。特に京都では8月は、町内で行われる「地蔵盆」や、6カ所の地蔵堂を巡る「六地蔵めぐり」が有名な夏の風物詩となっている。 毎年8月23日・24日の夏祭りを、京都を中心に近畿地方では「地蔵盆」と呼ばれ、各町内でお地蔵さんをまつり、お菓子を供え、子供たちは輪になって大きな数珠を「南無阿弥陀仏」と唱えながら回すのが習いである。町内の縦割りの子供のコミュニティ社会がそこにはある。

「地蔵尊」についても、その中身は多様で、子供の安産や健康を祈願する腹帯地蔵や子育て地蔵、霊魂の供養に属する水子地蔵、願掛け地蔵、身代わり地蔵など独自の願掛けが行われている。都市部における地蔵尊には、寺院内に洞を持ち安置されているもの、墓地の敷地の一部に嗣をもうけて杷られているもの、道端あるいは路傍の嗣の中に杷られているものなどさまざまな存在形態がみられる。現在では、都市改造で立ち退きを迫られたお地蔵さまは場所を変えてビルの谷間にひっそり生きているようである。信仰とは、このように自然発生的な素朴なもので、地域のコミュニティの核になれるようなものである。多額の寄付を募る大規模な脅迫教団とは大違いである。

地獄や悪魔、末法思想で脅迫して帰依を迫り、寄付を強要する宗教集団は、カルトであると考えても間違いない。宗教の開祖がそのようなことを本当に言ったのか。後世の弟子が信者を集め多額の寄付を募るために勝手に言い出したことではないのか。
道野辺に祭られたお地蔵さまにはそのような浅ましいたくらみの痕跡はみじんも感じられない。