島根県に親しくしている知人がいる。江津市の山手で科学研究所を持っていて、毎日判を押したような規則正しい生活をしているようである。人口は日本で2番目に少ない。知名度の方は何と日本で一番低い県でもある。都会育ちの私には、頭がボーとするほどストレス源のないところである。そんなところの風景写真が欲しいと言ったら送ってくれた。風景写真の中で一番多かったのが空の写真であった。


島根県の山手には風力発電機があちこちに立っているのが目立っていた。何度も見返していて分かったことであるが、山も木々もあまり変化がないように感じているようであるが、その中で空は日々変化しているので空の写真が多いのだと分かった。


見慣れた街に風景よりも、夕焼けの空の変化は何よりビビッドなのである。そんな思いで改めて写真を見てみると、時々刻々変化する夕焼けを眺めてカメラに収めている感動が伝わってくる。


穏やかな空は、島根という穏やかな場所を表しているかのようである。


山の中ではあるが、あちこちに畑や水田がある。兎に角静かなのである。聞こえるのは風にそよぐ草木の音だけでという所である。


こんな風景の場所も多かったような気がする。しかし空の淡いピンクが加わるとメルヘンティックな場所に変わっていく。


都会とは違って真ん丸の太陽を遮るものは何もない。太陽は天体だという実感がわいてくる。


初めこの写真を見た時は一体何かよく理解できなかった。虹色の雲は珍しい。私は始めて見た。島根県には虹色の雲が現れるのだ。しかし、地元の人でも珍しいからこそ写真に収めたのであろう。


この夕やけの空を見ていると、自分もまた自然の中に溶け込んでゆくようである。


明日もまた、穏やかな日が訪れることが当たり前なこころもちになってくる。


青空はどこまでも澄み切っていて、そんな空に切れぎれに浮かぶ雲は地球の吐く息のようである。


空というキャンバスに描かれた抽象画は、人の意が加わっていないからこそ自然でのびのびしている。人が描けばこうはならない。


日本海の夕焼け。どこまでも広がる鈍色の水平線の上に夕日を隠した遠くの雲と、近くの黒雲の対比が日本海の海にうっすらと映っている。


UFOのような雲と建物の造形がよく合っていて面白い。映画の1シーンを思わせる。


この輝く雲は飛翔するフェニックスである。火の鳥、フェニックスの大きさに圧倒される。


竜が天に昇っていく不思議な現実感が、頭の中に沁み通って広がっていく。


こんな鱗雲の広がりも始めて見た。人間がちっぽけに感じる。


さえぎる建物がないっていうのは、こんなにものびやかになる事なんだ。


絵の具を流して描かれた夕焼けに違いない。

これらの写真を撮った人の心が偲ばれる。島根県で生まれ育つとこんな写真が撮れるようになるのだろうか。プロだと豪語するカメラマンたちの造り物めいた我欲まみれの写真とは、世界が違う。