これは知り合いから時々聞く話なのだけれど、95歳の一人暮らしのおばあさんが、脳梗塞を起こして以来、寝たきりでテレビを見る習慣もないし目も悪くて新聞も読書もしないようで、日がな一日天井を見て過ごしているという事である。

何もしないでベッドに横たわっているなんて私には想像もできない。それで時々その話を聞いてみるようになった。


高齢ではあるが、頭はしっかりされておられるようである。「そんな人が何もしないで1日中無為に過ごしているなんて」と私が言うと、知り合いは「指を動かして空想のピアノを弾いていらしてるのよ。幼いころからピアノを習っていて、つい最近まではピアノの先生をなさっていたの。」という返事だった。半身不随になって以来、リビングに置いてあったピアノも処分してしまったけれど、一日に何回かは空中で不自由になった指を動かしてピアノを弾いておられるという事である。

ピアニストなればこその寝たきり生活の仕方である。因みに疲れるからというのでラジオも音楽も聞かないそうである。


芸大にいた頃、高齢になり筆が持てなくなって絵が描けなくなったらどうするかという話題になった時、一人の男子学生が「鼻の穴に筆を差し込んで絵を描くよ。」と言ったのが今でも忘れられない。絵描きはリア充が多い。

私なら、絵筆が持てなくなればPCで作品を作ると思う。いい時代になったものである。

少し話はそれるが、大学の先生が定年になると理系の先生は認知症になる傾向があるらしい。実験室を自宅に持ち帰れないので継続的な研究ができなくなるからだそうである。これは研究以外に趣味を持たない人の場合は特に悲惨な定年後の生活が待っているようで、実際私の友人の父親が大学の名誉教授であるにもかかわらず、自宅にいるようになって以来急に認知症になって、後は他界するまで悲惨な生活を送ったようである。

一方、理論物理の教授の場合、定年後も自宅研究を続け、あちこちの学会に出かけておられるようである。

理論物理の場合は、ピアニストと相通じるところがあるようで興味深い。
その点、文系の教授は定年後の方が生き生きしているのかな。

ただ近頃では、実験室はなくともAIで実験データーを得ることができるという事である。この時代の波に乗るか乗らないかで老後の生活はコロッと違ってくるようである。