病院の玄関に飾られた緑の菊。順番を待ちながら緑の菊を見て考えたこといろいろ。

花の色は赤系統や黄系統、青系統、紫系統、そして白といったところが普通である。緑色系統は、花の色ではなく葉っぱの色である。緑は原始社会にあっては、それを表す言葉すらなかったという。白黒のモノトーンに一番近いのが緑であった。ナチュラルカラーというのは緑や茶色系統の色である。

花をわざわざ飾るのは、自然色ばかりではなく赤や黄色の特別な色相の色が欲しいからであろう。カラフルという言葉が示すような自然とは違った様々な色を手軽に集められるのが花である。それ故、非日常的な儀式には花を飾ったのである。

然るになぜ最近になって緑の花がもてはやされる様になってきたのかと考える。

緑のキク、緑のカーネーション、緑のバラなどの必要があるのはなぜなのかと考える。


菊の花なら白か黄色が普通であり、色んな儀式に使われてきた。そこに緑のキクが割り込んできたのである。


緑の花に人気があるのは主に都会である。緑に囲まれた地方では、それほど緑の花の人気はないようである。

緑の花が一番初めに注目されたのが結婚式だそうである。結婚式で花嫁が持つブーケの花が、白ばかりでは味気なく、かと言って赤や黄色でも普通過ぎる。シンプルで且つおしゃれな特別な花というので注目されたのが、緑の花であった。


要するに、緑の花というのは、何でもある都会における贅沢、それも目立たない控えめでセンスのいい贅沢なのである。

緑のブーケが良いのなら、白い花と何種類もの葉っぱでよいのではないか。なぜ、わざわざ品種改良された緑の花を必要とするのか。

ブーケを持つのが習慣だから持ちたいが、普通ではなく特別でセンスの良さをそれとなく見せたいという心理が働いているのではないか。

男はこんなことに興味はない。結婚式すらどうでもいい。女性のこんなこだわりは、人生で最高の日が結婚式だという思い込みによるものに他ならない。人生で最高の日の花が緑の花束なのである。


プロポーズや誕生祝に緑の花束を持って行く男性は少ない。花より団子である。現実に根差している人ほど、ナチュラルなものを好む。

緑の花は、人工的なのである。人工的なナチュラルさなのである。

緑の花によく似たものが天然のダイヤモンドの指輪である。見分けがつかないと言うのに人工的に作られたジルコニアは嫌だという女性心理に似ている。人工的なナチュラルさから緑の花を好む一方で、天然石のダイヤモンドの婚約指輪が欲しいという相反した乙女心。いざというときに合理的に物事を考えることができない人に多い行動心理である。

そういう所に付け込む結婚コーディネーターという人種が、薦める緑の花。

贅沢に飽きたところに付け込んだ品種改良の緑の花たち。緑の花たちは、葉っぱの様に葉緑体を持ち光合成をしているという。

ウクライナやパレスチナでは緑の花は咲かない。日々咲くのは、血の花か。