予言獣のアマビエ達は、能登地震を予言したか。

現在の科学ではまだ地震を前もって予測することは不可能に近い。予知というのであればせめて1時間ぐらい前に警報を出してほしいものである。

そこで気象庁以外の予知に目が向くのもうなずけるのである。

その地震の予知現象の一つを宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)という。
ウキペディアによると、
「宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)とは、機器の測定ではなく人間の知覚に基づいて“地震の前兆”と報告される事象。主に動物の異常な行動、地鳴り、発光現象などが取り上げられ、そのほか特異な虹の出現、電気機器の故障、体の痛みなど多岐にわたる。
地震予知・地震予測の中では、観測されている地殻変動や地震活動の変化、地磁気や地下水の変化、地下由来の微量元素(ラドン等)の検出などの測定値に表現される物理的な事象と対比される。」とある。

地震の予知という不確かな事象に対して、困った時の神頼みという心理から出たのが予言獣の登場である。この何の根拠もない伝承や噂話から登場した予言獣こそは、科学の空白領域を埋める精神安定剤であったようである。

アマビエが疫病の流行を予言したように、予言をする日本の妖怪にはどのようなものがいるのか。 | レファレンス協同データベース
①『予言の日本史』によると、「江戸時代に、「予言獣」なるものが出現したことがあった。予言獣ということばは最近の学術用語で、当時は、「神社姫」、「姫魚」、「件」、「アマビコ」などと呼ばれていた。これらの予言獣は、豊作や疫病の流行などを予言し、災厄についてはそれをいかにして取り除くかを教えた後に消え去っていく」とある。「竜宮から豊作と「ころり」の流行を告げにきた姫魚」、「人の顔に牛のからだをもつ予言獣・件」について詳しく解説がされている。

②『妖怪文化研究の最前線』には、予言獣の研究について解説がなされている。予言獣としては、アマビコのほか、神社姫、人獣・どだく・クダベ、?鳥が挙げられている。

③『日本怪異妖怪大事典』のあまびこの項目には、「予言する怪異。近世後期から近代初頭にかけてかわら版や護符として流行した。かわら版には、天彦が現れ、災厄の予言とその回避策として自身の絵姿を貼り置くよう告げたことが記され、天彦の図像が描かれる。図像は多様で、人魚や猿のような形状をもつものもある。一方、予言の内容やその対策は類型的なものであり、天彦以外の予言する存在を描いたものも多い」とある。また、くだんの項目には、「半牛半人の予言する怪異。生後すぐに予言して死ぬ。その予言は必ず的中するとされ、証文等の結びの文句とされる「よって件の如し」という表現は、件の予言が確かなためであるという俗説とともに語られる」とあり、岡山県での事例が紹介されている。

④『日本幻獣図説』には、予言獣として、件(くだん)、アマビコが紹介されている。そのほか、アマビコに関連して、アマビエ、山童、アリエ、人魚、亀女、大神社姫の名前が挙がっている。アマビエはp71、山童はp80、アリエはp81、人魚はp83、亀女はp84、大神社姫はp42に説明がある。また、件に関連して、②で挙げられたクダヘ(クダベ)という人面獣についての記録がp69に記載されている。

⑤『日本妖怪学大全』では、アマビコを中心に予言する幻獣についてまとめられている。「予言する幻獣はアマビコ以外にも、件、人魚、アリエ、山童、豊年亀、亀女などが存在する」、「ほかにも件との関係が深いと思われるクダベなどが挙げられよう」と書かれている。

⑥『岡山の妖怪事典 妖怪編』によると、「クダンは中国山地が発生地の一つとされていて、岡山県下でも県北を中心にその伝承が残されている」とあり、岡山県におけるクダンの伝承が掲載されている。


しかし、今回の能登地震ではアマビエが活躍したという話は一向に聞こえてこない。
ほとんどの予言獣は疫病対策を目的にした物のようで、地震予知などは後の付け足しではないかと思える。
地震というものはそれほど難しい予知なのであろう。

次にあげる日本の予知獣のほとんどが疫病対策のために発明された様である。

「 アマビエ、 アマビコ、 姫魚(ヒメウオ)、神社姫(ジンジャヒメ)
クタベ、 件(クダン)、 白澤(ハクタク)」

地震専門の予言獣というものは調べてみたがいないようである。


【海棲生物の例に見る地震の前兆との関連】
・海洋に生息するイワシやウナギなど特定の魚、あるいはイカやアワビなどが大漁になった。
・クジラが湾に迷い込んだり浜に打ち上げられた(座礁鯨類、ストランディング)。
・リュウグウノツカイなどの珍しい深海魚が獲れた・漂着したなどの事象。

以上の地震の予兆の中には、真に地震を予知するものがあるかもしれない。
スマホの登場によって、きっとこれらの混沌とした情報の海から真実の光が差してくることを願っている。