父の遺した土地
父が遺した土地が、奈良の香芝にあった。生前父は、土日になるとここへやって来て植木の世話をしていた。田舎育ちゆえか、それはもう熱心であった。只、根付く暇もなく植え替えられる植木にとっては気の毒な限りであるが。父は最期に「わしの人生は、良い人生だった。」という言葉と、赤字の会社と、膨大なゴミと、再び雑木林となった奈良の土地を遺して8年前に、88才で大往生した。この土地は、私の希望で、下の息子、父からすれば孫に遺贈してもらった。持病だらけの私が貰ってもすぐまた、相続の煩わしい手続きがあるだけだと思ったからである。元々は雑木林だったところを、近鉄不動産が造成したのであるが、何しろ盛り土であるから、雨が降る度に、あっちがへこみ、こっちがへこみで、モグラたたきのように土を入れていたのを思い出す。一応平地になった土地に2Kの小さな家を建てた。父はそこを、「別荘」と呼んでいたが、南側に家が建って日陰になった上に、北斜面の裾に位置していたこともあって、いつもじめじめしていた。シダや苔にとっては良い環境ではあったが、家の土台は腐り始め、押し入れの中はカビが生えて、色々手を尽くしたが、根本的な解決には至らなかった。最後の頃の父は、日当たりの良いところに廃車を置き、その中で過ごすことが多かった。その父が亡くなって、この「別荘」を有効に使うために、思い切ってリフォームをしようということになった。
その頃の写真は残っていないが、この写真が一番その頃の面影を残している。
庭には、いつもどこかに雨水がたまっていた。父は水溜まりを更に掘って、水を溜めて蒲の穂を植えていた。母はそれを自宅に持ち帰っては生け花の素材にしていたが、穂が乾燥してはじけて悲惨なことになったことがあり、それ以来、ハードヘアースプレーを塗布するようになった。それ位、水はけが悪い土地であり、土留めのコンクリートの裾からは、何時も水が浸みだしていた。この水はけの悪い傾斜地であることが、後々大きな問題となるのである。