「豆富」の節分豆
今年も節分の日がやって来た。平安の昔、一年を4つの節(立春、立夏、立秋、立冬)に分け、一年の始まりは立春であった。節分とは、その立春の一日前の日であり、一年の最後の日でもある。そこで、一年の厄祓いをして新しい年を迎えようというのである。一年の厄や悪鬼を追い払う行事が、豆まきである。マメとは、「魔の目」を滅すること、即ち、「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということらしい。
であるから、鬼とはこの「魔」に当たるものである。中国発祥の鬼も日本に伝わり民間伝承と渾然一体となり、何やら曖昧な「オニさん」になったと見て良いと思う。
とにかく、節分には豆をまくのである。その他のおまじないも色々あるが、各家の流儀で執り行われている。我が家では、豆まきだけである。
今年は、豆富のマメを貰った。
左側が、水掛け製法で作られた豆富の節分の豆、右側が近くのスーパーで買った福マメ。見ただけでもその違いは歴然としている。
では、実際の味はどれぐらい違うのであろうか。因みに、値段の差は約3対1。
では、試食。ポリポリ。ぜんぜん違う。ただ、食習慣とは恐ろしいもので、頭では豆富のほうが美味しいとはわかっているのではあるが、香ばしくてポリポリの安物の福豆のほうが、私の口に合うという事実にショックを受けた。とにかく食感が全然違うので、比較するのが間違いかもしれないと思うことにした。
豆富のテトラポットは、一包に豆が5つずつ入っていて、絵柄が可愛い。口の中へ「福は内」には、これがいい。歳を重ねるに従って、食べる豆の数に閉口する。このテトラポット一つで十分。
ここに至って初めて、豆富の福豆の良さを発見した。豆富の豆の良さは、一粒ずつ食べると他の福豆との違いがはっきり分かるということである。豆富の豆は、一粒で他の豆の3粒か4粒ほどの感触がある。それ故、6,7粒も口の中に入れるとモゴモゴになってしまって味わう以前の問題となる。他のものに例えるなら、いくら美味しいからといってお肉を口いっぱいに詰めると味わい以前の状態になるのと同じである。とにかく結論的には、この豆富の豆の値段は安いということである。一粒でも満足できる不思議な豆である。